インディアナポリス研究会

中年の主張

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HCの仕事  何か寒い。

 一月ほど前、掲示板で話題になり、また丁度、コルツのヘッドコーチも代わったので、これを機会に、その議論の基盤となる「私のヘッドコーチ観」、「私の考えるHCの仕事とは何か」について、現時点における私の考え方をまとめてみたい。ただし、長い、猛烈に長い、クソ長い、○○のウンコのように長い(○○には各自、嫌いな奴の名前を入れよう。)。ざっと見積もって、全4回くらいには、なりそうな気がする。連続4回、この話柄を続けると、さすがに読者の皆様も辟易するだろうし、私自身もうんざりしてしまうので、隔週とまでは云わないが、変則不定期連載にしたいと思う。

 さて、まずこれから私のお話の主題になるヘッドコーチであるが、これはいわゆるフットボールのヘッドコーチのみならず、バスケットボールのHCや野球の監督等も含まれる。所謂チームスポーツの管理責任者といったら語弊があるだろうが、指導者の長、指揮者等と考えてもらいたい。すなわち、フッドボールのHCに限定した話ではなく、チームスポーツの長としての一般論になる。

 また、ここでチームスポーツの長と断ったが、その中でも、あくまでプロスポーツ、特にその国のトッププロスポーツに限定した話とする。NFLやNBA、日本プロ野球、ヨーロッパや南米のトップチームの長、監督やヘッドコーチについての話である。従って、トップで無いプロ、日本プロ野球の二軍監督や、MLBの3Aの監督等は除外する。彼らの仕事は、トッププロチームの長の仕事とは多少ニュアンスが変わるからだ。
 また、同じ理由で所謂アマチュアスポーツ、特に学生スポーツの監督やHCも除外する。彼らの仕事、特に十代のプレイヤーへの指導はトップレベルの指揮とは大きく異なってくるからだ。NCAAの一部リーグのチームとなると、バスケットボールであれフットボールであれ、ほとんどプロみたいな感じになってくるが、そうは云っても、それらも本質的にはアマチュアスポーツ、学生スポーツなので、これも除外する。
 すなわち、今回の主題は、あくまでトップレベルのプロスポーツチームの監督やHCに限定した話である事は、予め断っておく。

 また、今回の話は、いつもに増して、日本のプロ野球からに事例を多く引く事になるが、筆者が日本で生まれ日本で育っている以上、つーか一度も外国に行ったことがない以上(ノン・パスポート野郎である。)、つーか本州から一度しか出たことがない以上(うわっ、恥ずかし。)、NFLやNBAに比べ、遥かに日本プロ野球に親しんできているので、それは諒とされたい。

 さて、前置きは以上で終わり、本題に入る。

 私の考えるHCの仕事とは大きく分けて二つある。一つ目は「選手を気分良くプレイさせる。」であり。二つ目は「ゲーム全体、あるいはシーズン全体、更には数年先までのチームマネジメント」の二つである。

 まずは、一つ目の「選手を気分よくプレイさせる。」の説明から入ろう。

 「選手を気分よくプレイさせる。」といっても、NBAのような小所帯ならともかく、50人を越えるNFLや、支配下選手が40人近くいるMLBでは、全ての選手を気分良くプレイさせるというのは現実的には不可能である。特に控えの選手には、多かれ少なかれ不満はあるだろう。しかし、少なくとも主力選手、チームの軸となる選手、NFLなら、チームによって多少違いはあるだろうが、QBやDE、MLBといったポジションの選手、野球だと一番分かりやすいのであるが、エースと4番を気分良くプレイさせるのは、HCや監督の大きな仕事、さすがに全部では無いだろうが、仕事の半分くらいはこれだと私は思っている。
 これさえ出来れば、余程しょぼいチームで無い限り、自動的に5割は勝てる。あとは戦術やら練習やらで勝ち越せばよいだけである。逆に云えば、5割を大きく割るようなチームは大概の場合、何らかの理由でこれが出来ていない。ここ最近の横浜ベイスターズの村田などは良い、つーか悪い例だろう。まあこれは当の村田にも問題はあるのかもしれないが、いずれにせよ、歴代の監督と村田はほとんど反りが合わなかったと聞く。また、ピペンの機嫌を損ねてチームそのものが崩壊してしまったブルズなどはその最悪の例だろう。まあこれは、ピペンとHCの関係ではなく、ピペンとGM、あるいはオーナーとの関係ではあるが。また、GBでの晩年、すなわちロジャース指名以降のファーブなどもこの例かも知れぬ(NFCチャンピオンシップに出たシーズンもあるけど。)。カーソン・パーマーとベンガルズの関係もこの例といってよいだろう。そのほか、鈴木啓示と野茂英雄の事例なども、これは思わぬ副産物を生んだが、最悪の事例といってよいだろう。

 多少、というか大きく脱線するが、鈴木啓示についてちょっと話を続ける。この野茂との問題になるが、チームどころか当時の日本プロ野球のエース、のみならず当時の球界の最大の稼ぎ頭、スーパースターといってよい野茂と対立し、挙句チームどころか日本プロ野球界から追い出してしまうなんていうのは、監督として最低の仕事といってよいだろう。結果論的に云えば、当時の近鉄首脳陣が切るべきは鈴木であって、野茂ではなかった。

 もっとも、鈴木啓示というのは、当時というか現時点に於いても近鉄史上最大のスーパースターだったので、それも難しかったというのは一面良く分かる。ただ、当時の近鉄首脳陣の最大の過ちは、現役時代から問題行動の多かった鈴木啓示を、単にチームのスーパースターという理由だけで監督に据えた点だろう。

 鈴木啓示というのは、確かに通算317勝を挙げた球史に名を残すピッチャーではあるが、一面、というか完全にチームのことを考えない、「自分だけ良ければ良い。」という典型的な選手だった。当時、監督だった西本幸雄が大変手を焼いたと聞く。
 それが理由という訳でもないが、通算317勝もしながら、近鉄ファンはともかくとして、一般のプロ野球ファンの記憶に残るゲーム、語り草になる試合はひとつも無い。せいぜい晩年の公共広告機構のCMぐらいが記憶の全てである。同期にして最大最高のライバルである江夏豊が球史を彩る様々な名シーンを演出したのとはあまりに好対照である。江夏は阪神、鈴木は近鉄という事で、マスコミの注目度が違うという説も確かにあるだろうが、「江夏の21球」は近鉄対広島という恐ろしく地味なカードの日本シリーズでの出来事であり、9連続奪三振はオールスターゲームでの出来事である。すなわち、両舞台ともに鈴木啓示は出場しているのである。しかも結果も残している。でも、当時の近鉄ファン以外の記憶には残っていない。
 また、同じ時期のパリーグのライバル投手、山田久志や東尾修、村田兆治らが、プロ野球ファンなら誰もが知っているような名シーンに登場しているのに比しても、鈴木啓示の場合はあまりにも少ない、つーか無い。

 これはなぜかと考えるに、結局のところ、鈴木啓示は自分のことしか考えられない人間だったからだとい結論付けるしかないのではないだろうか。突飛な比較になって申し訳ないが、鈴木啓示と江夏豊の関係は、何かもっともらしい事は言うものの結局は自分のことしか考えていない星飛雄馬と、わがまま放題自分勝手な言動を繰り返しながらも最終的にはチームの為に死んだ番場蛮の関係に似ていると思う。

 そういう星飛雄馬的な鈴木が、結局人の心に何も残さなかったというのは、ある意味当然至極といって良いだろう。通算37勝の伊藤智仁と通算317勝の鈴木啓示、どちらが有名かと問われれば、現時点では前者になるのではないだろうか。
 プロ野球選手に限らず、プロスポーツマンが結局最終的には何を目指すのかと云えば、それは素晴らしい成績や技術ではなく、ましてや、でっかい家や高級車では全然なく、究極的には、見ている人の心に何を残すか、人の胸をどれだけ打ったか、なのだと思う。桜木花道の言葉「俺の全盛期は今なんだ。」は、そういう意味だと私は解している。ちなみに、私にとって、史上最高のスポーツマンは岡林洋一である。当時のヤクルトファン以外は全く理解できないかもしれないが、私は「岡林洋一」という名を見ただけで、ちょっと涙ぐんでしまう。私にとって、岡林洋一はマニングやジョーダン以上の選手なのである、一点の曇りもなく、完全に。

 まあ、チームの為に怪我を圧して何でも無理して投げればよいという訳では無いけれども、プロスポーツマン、というか全ての人間が結局問われているのは、この「魂の質」なのだと思う。じゃあ、その「魂の質」とは何なのかと問われれば返答に窮するが、それは人間ならば自然に、ごく当然の事として理解できると思う。どれだけ幸福な状態にあろうとも「魂の質」が悪ければ、人はそんな人間を絶対尊敬しないし、逆に、どれだけ悲惨な状態にあったとしても魂が輝いていれば、そういう人間を人は自然に尊敬するものだ。

 MLBで通算ホームラン記録を塗り替えたバリー・ボンズがまるで尊敬されていないどころか馬鹿にされているというのは、薬の一件もあるだろうが、やはり彼の「魂の質」そのものが馬鹿にされているのだと思う。ロッカールームでの彼の態度などは馬鹿にされて然るべきだろう。ちなみに、日本人の多くはショックを受けるかも知れぬが、イチローも、アメリカ人にこのボンズと同類の人間だと思われている節を私は大いに感じる。ただホームランを打っているだけのボンズと、ただヒットを打っているだけのイチローである。

 そのボンズやイチローと同類の人間であろう鈴木啓示が野茂と衝突し、結果的に思わぬ副産物を生んだというのは、何やら私には非常に暗号めいたものを感じる。

 さて、そんな鈴木話はともかく、話を大きく本題に戻すが、この手の選手と監督との衝突話は、プロスポーツファンなら、簡単に2つ3つ事例が挙げられるくらい、よくある話である。そうして、当然それをしない、すなわちチームの主力選手を気分良くプレイさせるというのは、監督としてHCとしてまず第一の仕事だと私は考える。そうして、これが出来てしまえば、監督やHCの仕事は半分終了である。

 では、具体的に「選手を気分良くプレイさせる。」為には何を為すべきかというと、まずはアメとマリファナを与えて、って、マリファナは冗談、つうか絶対しては駄目だが、何らかの物質的満足を与えるというのは、意外に、イメージ以上に大事だったりする。
 選手との食事会の費用を全額支払ったり、選手の奥さんの誕生日にプレゼントを贈ったりするというのは、他愛ないと云えば他愛ない仕事であるが、意外に土壇場で効いたりするものなのである。少なくとも、選手に「あいつはケチだ。」と思われているよりはマシである。

 この手の行為は、はっきり言って、人の心を金で買うようなものであるが、意外に人の心は金で買えちゃうものなのである。現代社会の消費活動の7割くらいは、煎じ詰めれば心の売買だといっても良いくらいである。中には、金で心を売らぬ剛の者もいるにはいるが、そういう者こそ、ゲームという勝負の場では、大きな力を発揮するので、これはこれで珍重せねばならない。

 まあ、この手の物質的満足を与えるというのは、半分冗談であるが半分はマジである。選手に好かれる必要は無いが、金払いが悪いと言う理由で選手に嫌われる、というか馬鹿にされているようでは監督失格といって良い。求心力というのは、意外にそんなところから失われるものなのである。

 ちょっと本題から逸れるが、こういう監督と選手、あるいは選手と選手とのスポーツを離れた意味での人間関係というのは、女性スポーツの世界では非常に重要である。全てといってもよいくらいである。男性プレイヤーで、「あいつ嫌いだから、パスしない。」なんて言っているのは、桜木花道とジェイソン・キッドくらいであろうが、女性スポーツの場合では、この手の話では日常茶飯事である。
 昨年、日本を席巻した所謂なでしこジャパンの選手たちが、「監督はどういう人ですか。」という質問に、ほとんどの選手たちが口々に「天然ボケのおっさん」とか「突っ込まずにはいられない人」とか「すんごい話しやすい人」といったような、詳細はまるで覚えていないが、サッカーとは直接関係のない、どちらかと云えば人間関係的な評価をしていたのは、私には非常に印象的だった。これが男性プレイヤーであれば、同様の質問に、「決断の早い人」とか「練習を大切にする人」とか「勝ちにこだわる人」といったような、何らかの形でゲームと関連のある回答をしていたであろう。

 ことほどさように、女性スポーツに関しては、監督と選手の人間関係はもの凄く重要であり、勝敗を決するといっても良いくらいである。理想的には、かつての大松博文のような親娘のような、あるいは夫婦のような関係であろう。また、その後輩にあたる山田重雄のような愛人、おっと危ない、岡ひろみと宗方仁のような恋人関係のようなものも、また有りだろう。もっとも、あまりに恋人関係だと、テニスのような個人競技ならともかく、バレーボールのような団体競技では、今度はチーム内で嫉妬感情が渦巻くので、やはり理想的には大松博文のような親娘のような関係だと思われる。そうして、チームメイトは姉妹関係である。

 また、これと関連してという訳でもないが、全盛期の全日本女子プロレスでは、選手間の仲が悪くなるように、団体の首脳陣が、陰に陽に仕向けていたという。まあ、確かに、リング外で仲良くなってしまうと、リング上での迫力あるファイトが女性の場合は出来なくなってしまうだろう。残酷なやり方ではあるが、これはこれでひとつの真理であり、私がここで説いている女性スポーツの特徴についての裏からの証明でもある。

 このような監督と選手の人間関係、あるいは選手と選手の人間関係は、感情に絶対的に支配される女性の世界では、細心の注意を図る必要があるだろうが、ここで主題となっている男性プロスポーツの世界に於いては、さほど重大事項では無いと思う。ただし、重大では無いとは言うものの、可能な限りの把握は必要である。女性スポーツのように、そこに手を入れる必要はあまり無いだろうが、チーム内の人間関係については、HCや監督は出来る限り正確に把握しておかねばならぬ。また、有能な監督やHCほど、それに気を配るものである。
 そうして、それを戦術にまで高めたのが日本プロ野球三大監督の一人、三原脩である。その傑作が昭和35年の日本シリーズであろう。ただまあ、この手の人間心理を勝負に活用するというのは、勝負事をしたことのある人なら誰でも分かるとおり、非常に効果的なやり方であるけれども、私はあまりお勧めできない。どうしても、様々な軋轢を生むからだ。そうして、それを仕掛けられている人々の心が痛んでいるうちはまだよいが、いつしか、それはそれを仕掛けている側の人間の心をも破壊する。三原脩の晩年が比較的寂しいものだったのは、これが一因だと思う。このやり方は、いつしか味方まで敵にしてしまうものである。
 ちなみに、日本プロ野球三大監督の他の二人、水原茂と鶴岡一人については、後々触れる心算なので、お楽しみに。って、楽しくないか。

 さて、人間関係、人間心理を戦術にまで高めるというのは程度問題であろうが、少なくとも自軍のチーム内の人間関係を正確に把握しておくというのは、監督、HCとして必須の仕事である。完全に正確はなかなか難しいだろうが、できる限り正確に把握しておくべきである。
 アマチュアスポーツ、特に学生スポーツの場合は、原則一年ごとのチーム運営であるし、どんな選手も3年ないし4年で卒業してしまう。ところが、トッププロスポーツは当然、選手の入れ替わりの激しいアメリカといえども、5年から10年くらいは似たような顔ぶれで戦っていく。また、チームを離れたとしても、他チームへの移籍、もしくはコーチへの転向など、すなわち業界や業界の周辺にいる事になる。長いものになれば50年近い付き合いもあるだろう。となれば、どうしても、そこには様々な人間関係が生まれる。そうしたものを把握しておく事は、トッププロスポーツのHCや監督には絶対必須である。投手コーチとして多くの実績を残した尾花高夫が、横浜ベイスターズの監督としては、結局失敗したのは、この辺への配慮が無かったからではないかと、私は思っている。もっとも、あのチームの場合、身売りすら噂されていたので、選手の気持ちをまとめるのはなかなか難しかっただろうが。

 この手のチームの人間関係への配慮という点で私が必ず思い出すのは、フィル・ジャクソンである。「B.J.アームストロングは控えの連中とばっかり付き合っている。もうちょっと、ジョーダンやピペンと付き合わなければ駄目だ。」というフィル・ジャクソンの言葉を掲載していた本だか記事だかを読んだ時、「また、エライ所に目をつけているな。」と私はほとほと感心した記憶がある。
 これはチームスポーツ経験者なら誰もが知っていると思うが、どうしても控え組は控え組、レギュラー組はレギュラー組でグループを作りやすい。レギュラー組が控えを低く見るという事はまず無いだろうが、控え組はどうしてもレギュラー組に対して、ある種の負い目や引け目を感じてしまう。結果的に、控え組は控え組とのみ親しくなり、レギュラー組はレギュラー組とのみ仲良くなる。ただ、控え組は、その感情を押し殺して、思い切ってレギュラー組と付き合っていかないと、ますますレギュラーからは遠ざかってしまう。単純に心理面のみならず、技術面からいってもレギュラー組とのチームプレイに何らかの支障をきたすからだ。B.J.アームストロングというのは、その風貌どおり、非常に優しく聡明な人であったと聞く。でも、そういう優しい心が控え組との付き合いを親しくし、結果、彼のプレイヤーとしての大成を阻んだとも言えなくは無い。

 このフィル・ジャクソンをはじめ、名HCや名監督といわれている人は、例外なく、チーム内の人間関係を正確に把握している。例えば野村克也などは、監督としてチームに入ると、必ずベテラン連中を篭絡していた。南海時代は自身がそのベテランなので関係ないが、ヤクルト時代ならば杉浦や八重樫であり、楽天時代ならば山崎である。山崎などは、根が単純なので全く気が付いていないが、あれなどは完全に野村が意識的、というか、ここまで来るとほとんど無意識レベルで山崎を篭絡したのである。
 チームというのは、外から見ると、野球ならエースや4番、フットボールならQBやオールプロ・プレイヤーあたりが、チームの中心であるように思われがちであるが、真のチームの中心は、意外なベテラン選手である事が多い。上述の杉浦や八重樫、山崎といった連中が大概チームを牛耳っているものなのである。そこを、他所から来た監督が篭絡し損ねると、その監督がどんなに優れた戦術や戦略を持っていようとも何の役にも立たなくなる。それくらい、この手のベテラン選手にはチーム内への影響力がある。上述した尾花や、森祇晶、古葉竹識が横浜・大洋で失敗したのは、いろいろな理由があるだろうが、ひとつにはこの理由があるのではないだろうか。

 ちなみに、この手のベテラン選手の篭絡という意味では、野村は非常に穏便で巧みなやり方をするが(その極致が山崎)、西本幸雄は拳固一発でぶっとばし、星野仙一になると、反乱分子をチームから追い出してしまう。これらは、強引なやり方ではあるが、決して間違っている訳では無いし、チームを自分のものにする為のひとつの方法ではある。

 また、ちなみに、野村は阪神時代にも、おそらくその手のベテラン選手、ベテランという程、年をとってはいないが、当時なら檜山あたりを篭絡したのであろうが、完全にチームを掌握できなかった。これは何故かと云えば、阪神というチームを牛耳っているのは、これはあくまで噂であるけれど、選手の背後にいる所謂タニマチだったからだと言われている。彼らの篭絡に野村は失敗したらしい。一方、後任の星野は「おやじキラー」の異名の持ち主であるから、簡単にそれらタニマチを篭絡したらしい。あくまで噂レベルなので、真偽は不明であるが、当時の阪神ならば、さもありなん、という話ではある。

 さて、以上、直接関係の無い話も含め、長々長々と話してきたが、今回の記事で私が言いたかったのは、HCや監督の仕事の一つ目は「選手を気分よくプレイさせる。」であり、その為には、物質的感情的満足を与える必要があるという事であるが、この「選手を気分よくプレイさせる。」ために本当に必要なのは、これら物質的感情的満足ではなく、もっと本質的に大事な事がある。それは、というのが次回の話。来週か再来週かは分からんけど。

 今回の主題、長いのは分かっているが、やはり長い。まだ触りである。

                                         2012/2/22(水)

 先日、YAHOOのニュース欄に「元パイレーツの浅田好未が現在第2子妊娠中」という、一体何処に需要があるのかがさっぱり分からない記事が掲載されていた。その「どーでも良さっぷり」が近年稀に見る凄まじさだったので、、記念にココに記録しておく。浅田好未ファンの皆様ごめんなさい。

 さて、「HCの仕事」第2回目である。前回の主張は、HCの仕事の一つ目は「選手を気分よくプレイさせる。」であり、その為にはアメやマリファナ等、だからマリファナは駄目だっつてんだろ、物質的感情的満足を与える事も重要であるというものであり、また、それに付随するものとしてチーム内の人間関係にHCは注意せねばならぬというものであった。

 もっとも、これらは「選手を気分よくプレイさせる。」という目的の為には、女子スポーツの場合はともかく、男性スポーツの場合は第一義的に重要ではない。男性スポーツ、特にココで議題になっている男性トッププロスポーツにおいて、「選手を気分よくプレイさせる。」為に最も大事なものは何かというのが今回の議題であり主張であり、そうして、それはすなわち「その選手の才能を発揮する場を与えてやる事」である。これが「選手を気分よくプレイさせる。」為に最も大事な事であり、軸になる。

 アンゴル・モア風に云えば、「てゆーか適材適所」、であり、ゲーテ風に言えば、「人間にとって最も幸せな状態とは、何らかの才能を持って生まれ、その才能を発揮する場を与えられた状態である。」、という事になる。
 プロスポーツ選手、とりわけドラフト上位指名の選手というのは、その第1の条件「何らかの才能」は持って生まれた訳であるから、それでいて不幸、すなわち「気分よくプレイできていない」というのは、それはすなわち、その第2の条件「その才能を発揮する場を与えられていない」という場合がほとんどである。所謂バストなんていうのは、一部には選手本人にも問題がある場合もあるが、大概は、彼を受け入れるチームの側に問題がある場合がほとんどである。過大評価や見当違いなどで、その選手の働き場所を与えられなかったという訳である。近年のコルツのバストであるゴンザレスやヒューズなどは、その好例、つうか悪例であろう。ウェインがいるのにゴンザレスを指名し、フリーニー、マシスが健在なのにヒューズを指名してしまったという訳である。もっとも、ゴンザレスの場合は、スロットかと思ったら第2レシーバーだったという見立て違い、ヒューズの場合は、フリーニー、マシスの予想外の健康という嬉しい誤算があった訳ではあるが。理由はともかく、この間違いが、コルツの一巡指名権と彼らの青春を無駄にしてしまった事は、疑いようの無い事実ではある。

 また、一般に「野村再生工場」的に言われるような、あるチームでは眼の出なかった選手が他のチームでは活躍し出すなんていう事情は、そのチームのコーチが優れた技術的指導をしたというよりは、むしろその選手の才能を発揮する場を与えることに成功したという場合がほとんどである。チームを代わったぐらいで、身体能力や技術が飛躍的に上がるなんて事はほとんど無いからだ。先発でまるで駄目だった江夏がリリーフで成功したなんていうのは、その典型である。こんな事象はプロスポーツ界に於いては、掃いて捨てる程あるだろうが、一般に名将や名HCといわれる人ほど、この能力に長けている。

 よく世間では「長所を伸ばす教育」とか「短所を直す指導」とか云われているが、そんなのは両方とも間違っている。長所は伸びないし、短所も直らない。ただ我々に出来る事は「長所を活かし、短所を隠す。」事だけである。これが優秀なHCや監督の必須の能力である。ロッドマンやロン・アーテストのような長短のはっきりした選手を巧みに使って優勝に導いたフィル・ジャクソンなどは、この典型である。もっとも、ロッドマンを追い出したポポビッチの方も、これはこれで優勝しているのだけれど。

 ただまあ、この「才能を見つけ、その才能を活かす。」というのは、実際のところはなかなか難しい。馬鹿みたいにスカウティングするNFLドラフトでも毎年必ずバストは生まれるし、昨今話題のジェレミー・リンなどもその一例だろう。もっとも、NBAでは、私の知る限り、このリンのようなパターンは非常に珍しい事例である。ドラフト前の評価が大きく変わるという事は、あまり無い。他に似たような事例で云えば、ジョン・スタークスか。奇しくも、同じニックスだ。この辺はバスケットボールというゲームの特性かも知れぬ。

 また、この「才能を見つけ、その才能を活かす。」というのが、スポーツを離れても、なかなか難しいというのは皆さん承知の通りである。30歳を過ぎれば誰でも経験あると思うが、職場に入ってきた新入社員や新人アルバイトに「いったい、あれだけ面接やテストをして、何故コイツ。」なあんて思った事は一度や二度では無いだろう。
 また、教育の世界においても、当人の才能を無視した指導は横行している。足の速い子に音楽をやらせたり(リアルの場合)、算数の得意な子を職人にしようとしたり(ガウスの場合)、その手の話柄には事欠かない。

 世の中の所謂お母さん達が、ゴルフが流行ればゴルフ、テニスが流行ればテニス、ピアノが流行ればピアノ、バレエが流行ればバレエ、と子供の才能を全く無視して、子供を何者かに仕立てようとするのは古今東西万国共通の所謂「お母さん問題」のひとつである。
 「お母さん問題」とは何かというと、要するに、世の中の所謂お母さんが、自分の子供の才能や嗜好、特徴といったものを全く見ようとしない、また知る能力を欠いたところに由来する問題である。
 私の友達は自分の母親が毎回毎回Tシャツを自分の嫌いなたたみ方をするといって激怒していた。また、ある友人は自分の母親が毎回毎回何回残しても自分の嫌いな食べ物を弁当に入れてくるといって激怒していた。ちなみに私の母親は30年以上私の食事を作ってきながら、私が薄味を好むのか濃い味を好むのか、それすら知らなかった。つうか、教えた翌日には忘れていた。私も諦めている。

 まあ、この手のお母さん問題はともかくとして、そのお母さんに限らず、世の中の多くの人間が、人の才能を見抜くという力を持っていない。NFLの世界においても、散々時間と金をかけてスカウティングしておきながらバストなんていうのは日常茶飯事である。すなわち、人の才能を見抜くということ自体がひとつの偉大な、そうして稀な才能なのである。例えば、吉田松陰が何故偉大なのかと云えば、ひとつには国難に対して非常にエキセントリックな行動をしたという点も挙げられようが、なにより彼の元に多くの人材が集まり育った点に由来するであろう。そうして、それが吉田松陰の最大の仕事である。では、何故集まり育ったのかと云えば、それは結局のところ、吉田松陰に人間の才能を見抜く能力があったという事に尽きると思う。久坂玄瑞や高杉晋作はともかく、幼年期の伊藤博文を見て「君には政治家の才能がある。」と見抜くのは尋常ならざる事である。

 人の才能を見抜くというと、その人間を正しく観察する事が重要なのは勿論だろうが、その裏として、例えば上の伊藤博文の例で言えば、そもそも政治家とはどんな仕事なのかを知っておかねばならない。政治家という仕事に対して正しい認識を持っていなければならない。これをスポーツに当てはめれば、QBとは何か、WRとは何か、先発ピッチャーとは何か、リリーフとは何か等々について正しい認識を持っていなければならぬ。先に例を挙げた、新入社員や新人アルバイトが駄目であるのは、その採用担当者がその人物を正しく認識できなかったという理由も勿論あろうが、その採用担当者が仕事についての正しい認識を持っていなかったとも云えるだろう。

 逆に云えば、「その選手の才能を発揮する場を与えてやる事」が出来るHCや監督というのは、そのゲームやそのポジション、スポーツを離れれば、その仕事について、正しい認識を持っているという事になる。それがHCや監督、またスポーツを離れれば、何らかの指導者の重要な仕事であり、それが出来れば結果が付いてくる、勝ててしまうというのは自明だろう。

 と、このように書くと、才能を見つけ、その才能を発揮する場を与えるだけでなく、そこに何らかの技術的指導も必要なのではないかという指摘もあろうが、私はそういう技術的指導は不要、下手すれば、邪魔だとすら思っている。この世に掃いて捨てるほどある指導書や教科書なんていうのは最終的には不要だと私は思っている。才能を持った人間が、その才能を発揮する場を与えられさえすれば、周囲の者が放っといても、あとは勝手に伸びていくものである。ちょうど、種が土に埋められて、適度な水分と温度を得さえすれば、勝手に芽を出すのと同じ事である。先に挙げたゲーテの言葉「人間にとって最も幸せな状態とは、何らかの才能を持って生まれ、その才能を発揮する場を与えられた状態である。」の妙味もここにあると私は思っている。

 周囲の指導は不要である。また、それで芽が出ぬならば、その選手には才能が無かったといってよい。それは何故か、というのは次回の話。しかし長いなホントに。とても4回じゃ収まりきらんぞ。

                              なんか暖かくなってきた。2012/3/7(水)

 さて、マニング問題も一段落したところで、あっしは当論考をシコシコ続ける。

 えーと、前回のお話は、選手を気分良く働かせる為にはその才能に見合った働き場所を与えてやる事が肝要で、それを与えさえすれば、あとは選手が勝手にその才能を発揮するというものであった。んで、周囲のものはそこに特別な指導はいらない、んで、その理由を書くのが今回の主題である。

 で、一応あらかじめ断っておくが、今回は今までに増して、野球や日本プロ野球の話が出てきます。あんまりそちらの方面に詳しくない方には、何を言っているのかさっぱり分からない話になってしまいますので、ご了承下さい。んません。もともと、この論考の骨子は遥か10年以上前、私がNFLを見始める前に出来たものなので、どうしてもそうなってしまいます。ただ、その論理はNFLやフットボールにもそのまま通用するものと思っていますので、どうか御理解願います。

 さて本題に入る。

 では何故、周囲の指導、特に技術指導、一般的にコーチの主な仕事とされている技術指導が不要なのかというと、それは結局のところ、技術というのは、あくまで個人的なものであるからだ。もちろん、ほとんど万人共通の技術も、それはあるかもしれないが、それはあくまでアマチュア、それも初心者レベルでの話であって、トップレベルのプロにとって、万人共通の技術は無い。というか、それらはすでに習得済みなのがトッププロといものであろう。

 例えば、Aという選手に通用したA´という技術が、そのままBという選手に通用するかというと、そうはならない。Bという選手にはB´という技術が必要になってくる。

 具体例を挙げれば、例えばホームランバッター、それは今まで日本のプロ野球界にも沢山いたけれども、そのフォームやバッティング理論皆バラバラである。似たような選手はいるかもしれないが、結局は各人各様、十人十色である。さしずめ、そのバッティングフォームの違うこと、その面貌の如しといった具合である。

 日本最高のホームランバッターが王貞治であることに誰も異論の余地は無いだろうが、その一本足打法がホームランバッターとして最良のものかと云えば、それは違うだろう。その一本足打法を真似た片平や大豊が大成したとは言い難い。また、落合の全盛期、その神主打法が流行し、池山や清原等、当時の若いバッターの多くが、バットを顔の前に持ってきたが、結局誰も成功しなかった。というか、意味すら分かっておらず、多くはバッティングを崩した。つうか、訳も分からず、一茂まで真似していたな。

 このバッティングに限らず、あらゆる技術というのは、体格や筋肉の付き方といった身体的特徴のみならず、頭脳や性格といった個体差によって決まってくる為に万人共通の技術は事実上ないのである。また、身体的特徴に左右されるということは年齢によって変化させていかねばならず、10代の技術と20代の技術、30代の技術ではおのずと違ってくる。イチローや落合のバッティングフォームが年齢とともに変化していくというのは、その良い例であろう。

 もっとも、ここに例に挙げたバッティングというのは、テッド・ウィリアムズも言うように「あらゆる技術の中で最も難しい技術」であろうから、例えばQBのスローイング技術なんていうのは万人共通の部分も多いのかも知れぬ。とはいえ、同じ一流QBであるマニングとリバースのフォームが全然違うなんていうのは、結局のところ、あらゆる技術は個人的であるという事の一つの証左であろう。

 ことほど左様に、あらゆる技術というのは専ら個人的なものである為に、結局のところは自分で創意工夫して高め完成させていくしかない。周りの人間、すなわちコーチに出来る事といったら、せいぜい練習に付き合うとか、アドバイスをするとか、何らかの数値の計測といった事ぐらいであろう。技術そのものの研鑽は、結局そのプレイヤー自身がするしかない。

 そうして、そうした助言や練習への付き合いなどが、今回の主題になっているHCや監督の仕事では無い事は、これは自明であろう。そういった仕事はアシスタントコーチやポジションコーチ、更に言えば選手が個人的に雇うプレイべートコーチの領分である事は言うを待つまい。もちろん、HCや監督が練習の付き合いや助言をする事も悪い事では無いけれど、それらはあくまで余技、アルバイトである。本業ではない。

 また、アメリカではどうか知らぬが、かつての日本にはある種の技術や理論を専売特許のように選手に押し売りするコーチが沢山いたが、こんなのは、上記の理由から、論外である。具体名を挙げれば、山内一弘や荒川博である。

 山内一弘のインコース打ちなどは、それこそタイトルホルダークラスの実力者が晩年になってようやく身に付けるような技術、しかも身に付けなくても良いような技術なのであるが、そんなものを高卒ルーキーにいきなり教えたって大概混乱する。落合が「若い頃、山内さんに言われた事がさっぱり理解できなかったが、引退する間際になって、『ああ、そういう事だったのか。』ようやく理解できた。」というような証言を残しているが、落合のような頭脳を以ってして、それなのだから、ほとんどのバッター、特に守備型の野手にとっては、全く理解できないとまでは言わぬが、少なくとも不要の技術だったろう。
 そもそも、インコース打ちなんていうのはバッター必須の技術ではない。なぜなら、見逃しちゃえば良いからである。2球に1球どころか、3球に2球はボール、もしくは真ん中の絶好球になるだろう。3球続けて、インコースにストライクを投げられるピッチャーなんていうのは一時代に一人いるかいないかである。まあ、首位打者なりホームラン王なり、タイトルを獲りにいこうとするバッターには、それなりに対応が必要かもしれないが、それ以外のバッターにとっては見逃せばよいだけのコースである。インコースの球をポール際に落とす技術などは必ずしも必要ではない。見逃してストライクならごめんなさいで十分である。

 もっとも、この山内一弘のインコース打ちなどは、その理論そのものは正しく、またその影響の彼の周囲に限られていたから、そんなに被害は大きくない。また、理論そのものは正しい事から、彼のコーチングで大成したバッターもいることだろう(誰かは知らないけど、)。問題は荒川博のダウンスウィングである。

 私は日本の野球選手が打てなくなった二大原因のひとつがバント野球、そうしてもうひとつがこの荒川理論だと思っているし、間違いないと断言できるのであるが、この荒川理論が、先に挙げた山内にインコース打ちとは違い、巨人軍と王貞治という史上最高の宣伝等で以って、日本全国津々浦々にまで流布したのは、日本野球史上最大の悲劇だとさえ思っている。その罪は重い。王貞治の偉業が半減するほどである。

 何より、まずこの私自身がその犠牲者である。小学3年生の頃、初めて地元の野球チームに入って、というか入れられ、最初の打撃練習で、何にも考えずに普通に打っていたら、面白いようにポンポン外野にボールが飛んだ。そうして、2度目の打撃練習で、当時の少年野球の指導者の常套句のひとつであろう「ボールは上から叩け。大根切りの様に打つのが正しい打ち方だ。」という指導があった。私に限らず、子供というのは大概素直であるから、大人の指導はそのまま受け入れる。それから、私は全く打てなくなった。
 この指導、すなわち「ボールは上から叩け。大根切りの様に打つのが正しい打ち方だ。」は、その後も他の多くの指導者が異口同音に唱えた。無論、荒川理論とその具現者王貞治を盲信しての指導である。この理論そのものが完全に間違えていると私が知るのは、はるか後年30歳を過ぎての話である。荒川理論を教えられなければ、私はプロ野球選手になっていたなんていう心算は全く無いけれども、この手の悲劇は70年代から80年代にかけて、日本全国の津々浦々で繰り返されていたと思う。つうか、繰り返されていた。これはもう、はっきり断言できる。

 この悲劇は少年野球やアマチュア野球にとどまらず、プロ野球の世界、特にそのお膝元巨人軍においては、まさしく猖獗を極めた。70年代から80年代の巨人軍において、ONと張本、そうして外国人と篠塚以外はさっぱり打てなくなってしまったのは、はっきりこれが原因である。80年代後期になると、吉村や駒田、岡崎等がそこからの脱却を図るが、それでもまだその影響下にある。

 松井がメジャーリーグに行った当初、「ゴロキング」なんて揶揄されたのは、その象徴であろう。日本ではさほど目立たなかったセカンドゴロがメジャーリーグでは目立ってしまうのである。荒川理論のダウンスウィングの結果として、所謂「こねる」バッティングが非常に多くなり、結果セカンドゴロ、ショートゴロが異常に増える。80年代の日本の野球というのは、異常にショートゴロ、セカンドゴロ、すなわち「こねる」バッティングが非常に多かった。

 原辰徳もまた、この荒川理論の犠牲者の一人だった。彼も幼い頃から荒川理論のダウンスウィングを指導されてきたのだろう。結果、異常にこねるバッティングになり、なおかつ「リストを効かせたバッティング」「手首が強い。」などとおだてられ、本人もますますその気になり、徹底的に手首を返し続けた、即ちこね続けた挙句、その手首を故障し、キャリアの半分を棒に振ることにうなるのである。しかも、実際のところ、リストを利かせるバッティングなんていうのは無いのである。もし原が手首を返すバッティングをしなければ、彼のキャリアはもっと輝かしいものになっていただろう。500本塁打も可能だったと思う。それだけの運動神経が原には備わっていた。

 ここで面白いのはイチローである。彼も中学時代、私同様、つうか日本全国の中学生同様、当時の監督に「手首を返せ。手首を返せ。手首を返すと飛距離が伸びるぞ。」と指導されていたそうである。ところが、イチローは頑として、それを拒否していたらしい。理由は、「だって、手首を返さなくたって、ボールは飛ぶんだもん。」だそうである。実際、これは全くそのとおりで、手首を返す事と飛距離には何の因果関係も無いからだ。それが証拠に、外国人選手やメジャーリーガーはほとんど手首を返さない。ほとんど手首を返さない張本が500本塁打しているのは周知の通りである。また、同じくゴルフも、なるべく手首は返すなと指導されている筈である。何かつうと、手首を返すのは日本の、つうか荒川理論の影響下にある野球選手の特徴である。

 また、この手首を返す、こねるバッティングの副産物として、80年代の日本のプロ野球では小さなスライダー、東尾や北別府に代表される小さなスライダーが大流行した。とにかくバッターがこねてくれる訳だから、スライダーをちょいと曲げて、バットの芯を外しさえすれば、セカンドゴロ、ショートゴロ、あるいは内野ゴロで仕留められるのだから、大流行する訳である。

 ちなみに、その流れが変わるのは、90年代に入り、野茂や潮崎がフォークボールやシンカーといった大きな変化球を投げるようになってからである。では、何故、彼らが大きな変化球を投げるようになったかというと、理由は簡単、当時アマチュア球界世界最強を誇ったキューバの金属バット野球に対抗する為である。キューバの金属バットの前には、東尾や北別府流の小さなスライダーは全く通用しない。仮に芯を外したとしても(つうか、金属バットに芯はないんだけど、)、バットに当たりさえすれば、バックスクリーンに叩き込まれてしまうからである。従って、彼等を抑える為には、バットに当たらない球、即ち大きな変化球が必要になってくる。そうした要請から生まれたピッチャーが野茂や潮崎なのである。

 その野茂や潮崎、またその流れの中にいる佐々木や野田、伊藤智仁が90年代の日本プロ野球に続々入ってきて、次から次へと日本の奪三振記録を塗り替える事になる。80年代最高の奪三振王、江川でも為し得なかった事である。もちろん、江川は事実上ストレートしかなかったので、それはそれで仕方の無い事である。カーブも勿論あるにはあるが、これは野茂のフォーク等とは違って空振りをとれるボールではない、バッターサイドから言えば、分かっていれば、当てられるボールなので、事実上ストレートだけといって良い。
 また、桑田がその流れに乗れなかったのは、彼が高卒プレイヤー、すなわちキューバとの対戦の無いピッチャーであったからであるのは言うを待つまい。

 と、ここまで読んでいて賢明な読者諸氏は気付いているであろうが、当時のバッターは小さな変化球も大きな変化球も打てないという事である。さよう、それが荒川理論の恐ろしいところで、この理論では事実上ヒットもホームランも打てないのである。打てるコースは唯一、真ん中高めの球だけであろう。というか、こんなのは万人共通、荒川理論を実践していなくても、誰でも打てるところなのである。真ん中高めの球など、誰でもダウンスウィングで打つのである。むしろ、ここをアッパースウィングで打つ事の方がはるかに難しい、つうか不可能だろう。

 アッパースウィングやダウンスウィングに関しては、それこそ各人各様色々な理論があるだろうが、ベースになるのはやはり、先のテッド・ウィリアムズの理論、高めはダウン、真ん中はレベル、低めはアッパーとなるだろう。あとは、これを基本に、相手ピッチャーや球種によって、各人各様工夫していくという事になると思う。どんな球種、どんなコースでも、ダウンスウィングで打てという荒川理論は打撃理論として完全に破綻している。

 ちなみに、低めはアッパースウィングという事に関して、異論を唱える方も入りかもしれぬが、実際のところ、アッパーでも打てる人は打てるのである。かつて、エンジェルスにアダム・ケネディというバッターがいて、これがもの凄いアッパースウィングの選手だったのであるが、その打撃練習を見て、、当時、彼の同僚だった長谷川滋利は「こんなアッパースウィングじゃ、絶対打てねー。」と思ったそうなのであるが、実際は、そのバッティングフォームでパカパカ打ち、プレイオフでも、確かプレイオフでも一試合2ホーマーとかで、エンジェルスのワールドシリーズ制覇に大きく貢献するのである。それを見て、長谷川は「アッパーでも打てる奴は打てるんだなあ。」と認識を改めたそうである。

 このアッパーの他に、ヒッチやドアスウィング等々、バッターはやってはいけないとされている事がいくつかあるが、実際のところ、それらをしても打つ奴は打つのである。かつて阪神時代の野村監督が「今岡ちゅうのは、バッターがやってはいけない事の5つのうち、4つぐらいやっているんだが、それでも打てるんだから、バッティングちゅうのは不思議なもんだのお。」と感心していたが、技術というのは大概そういうものなのである。

 という訳で、荒川理論ではヒットは打てないというのは以上に示したとおりであり、その巣窟巨人軍のバッターが上記の4名と外国人選手を除いて、、軒並み打てなくなったのも以上に示したとおりである。長嶋と張本が荒川の言う事を聞かないのは当然至極であろうし、外国人も当然関わらないだろう。では、荒川の二番弟子といわれる王はどうだったのかというと、ここに末次の面白い証言がある。

 すなわち末次曰く、「いや〜、ああ見えても、王さんというのは結構要領がいいんですよ。あの人、打撃練習で荒川さんの前ではダウンスウィングをしているんですけど、いざ試合になると、レベルで打っているんですよ。僕なんか、根がマジメなんで、練習でも試合でもダウンで打っていて、おかげでサッパリでしたよ。」。なるほど、王も荒川理論は実践していなかったのである。

 では、その4人の内の残りの一人、篠塚であるが、私は彼が荒川理論とどう対峙していたのか永らく不明であったのだが、それがつい最近、本当につい最近、この論考を書こうとした矢先に発見したので、それをここに紹介したい。

 それは、本当ににたまたまブックオフで立ち読みした篠塚の本「6歳からの広角打法」という本に答えが書かれていた。篠塚も荒川理論は否定していたのである。この本にはっきり「ダウンスウィングは禁物」と書かれている。更には「手首はなるべく返すな」とまで書かれている。手首を返すのは、「むしろインパクトの後だ」とさえ書かれている。まったくもって、その通りである。

 ドケチの私は原則的にスポーツマンの書いた本は買わない、立ち読みで済ましているのであるが、この本は買った。ブックオフだったので、600円だったけど。スポーツマンの書いた本というのは、大概つまらない、エピソード集みたいのがほとんどで、それはそれで史料的な価値はあるかもしれないが、わざわざ金を払ってまで欲しいと思わせる本は無い。近年最も優れたスポーツマンの書物は、10年位前に書かれた、落合の打撃技術についての本だと思われるが、これでも私は購いたいとまでは思わなかった。また、最近、古田の打撃技術についての本も、ちょろっと立ち読みしたのであるが、これも、はっきり言って内容は無かった。ダウンスウィング否定に関しては、先に挙げた篠塚や落合の本同様であるが、内容的にいまいち散漫だったし、バッティングで最も大事な事についてはまるで触れていなかった。

 古田の本については、これ以外にも何冊か目を通しているのであるが、皆同様の印象である。近年、最高の頭脳派といわれている古田であるが、その著作物を読む限り、またその解説を聞く限り、それほど優れているという印象は無い。プレイイング・マネージャーという無茶振りを差し引いても、監督としていまいち成功しなかった理由が良く分かる。上に挙げた落合や篠塚に比べ、考え抜かれているという感じが無いのである。まして、その師匠筋にあたる野村克也とは比べるべくも無い。もっとも、古田の場合は、なんでもかんでも、その野村が用意してしまった為に、本当の意味で自分ひとりで考える、試行錯誤するという期間が無かったのかもしれない。その著作物や解説に、考え抜いたという痕跡が無い、もっとも、古田の場合は、年齢的に試行錯誤している暇は無かったかもしれないが。

 さて、篠塚の本に話を戻そう。篠塚利夫、あるいは篠塚和典といっても、最近の若い人は良く分からないかもしれないが、80年代の巨人の主力選手の一人で、当時の小学生の間に圧倒的な、あるいは原や中畑以上の人気を誇っていた選手である。特に野球をしている小学生の間から、圧倒的な人気があった。ちなみに、イチローのルーキーイヤー、すなわち振り子以前は、この篠塚そっくりのバッティングフォームだった。確か、バットは、今でも、この篠塚タイプを改良して使っている筈である。
 
 また、ちなみに、私の小学生の頃の友人に、強烈な篠塚ファン、今風に云うと篠塚信者がいて、篠塚を崇拝するあまり、「この世には数字は6しかない。」と言い出し、算数のテストで解答に全部6と書いて提出し、当然の如く、先生に死ぬほど怒られ、挙句、そのテストの点数が、10点だったか15点だったかは忘れたが、それを見て、「6じゃねえのか。」と吐き捨てた強者がいる。すべからくファンとはかくあるべし、であろう。マニングファンの諸君、この世には数字は18しかないぞ。フリーニーファンの諸君、この世に数字は93しかないぞ。

 と、このように(でもないか。)熱烈なファンを数多く持つ篠塚であるが、一面マスコミへの露出度は低く、そのプライベートの情報と云えば、スケベである事と、副業で美容室をやっている事ぐらいしか、無かった。とりわけ、その華麗なバッティングについて語る場面は少なかった。その打撃理論については永らく不明であったのであるが、その解答が先に挙げた「6歳からの広角打法」なのであった。一読して、私はさすが篠塚だと思った。んで、購入を決めたわけである。

 この本は、その表題「6歳からの広角打法」どおり子供向け、というより子供に野球指導をしている指導者向けに書かれた本なのであるが、その打撃理論は、全くその通りであり、篠塚の華麗なバッティングフォーム同様、非常に洗練されている。例えば、先に挙げた「手首を返さない。返すのはむしろインパクトの後である。」なんていうのは、全く以って、その通りである。

 そもそも、何故バッティングで手首を返すのかというと、返す事自体に技術的な意味がある訳ではなく、単純に手首を返さないと腰が半分しか回転できないつうだけの理由である。手首を返す事自体が目的なのではなく、腰を回転させる関係上、それに付随して手首を返さざる得ないという意味しかない。これは、実際にその運動をしてみれば、誰でも分かる事であるが、、手首を返さなければ、腰は半分しか回らない。腰が回らなければ、当然パワーも半減する。特にダウンスウィングでは、半分どころか、1/3ぐらいしか回転できない。荒川理論と手首を返す、即ち、こねるバッティングがワンセットであるのは、ここに理由がある。
 先に例に挙げた、イチローの中学時代の指導者は、それを曲解して、手首を返す事が即ち飛距離が出る事であると勘違いしたのであろう。しかしながら、インパクト前に手首を返してしまうと、当然の事ながらボールに力は伝わらず、所謂こねるバッティングになってしまう。逆に、インパクト後に手首を返そうとしたら自然にレベルスウィングになる。つうか、ならざる得ない。高目がダウンスウィングでも打てるのは無論ミートポイントが近いためであるの言うまでもあるまい。

 ちなみに、バッティングにおいて、飛距離を出す為に最も効果的な方法は何かというと、マヌケな意見に聞こえるかもしれないが、それは体重を増やす事である。パワー即ちエネルギーというのは重さ×速さである以上、飛距離を出す方法は結局のところ、ふたつしかない。バットスウィングを速くするか、重さを増す、体重を上げるの二つしかない。ただ、ホームランを打つとなると、とりあえずスタンドインさせればよいので、ボールに角度をつける等々のテクニックもあるだろうが、単純に、飛距離を伸ばす、ボールに力を加えるというだけならば、上に挙げた2つ、バットスウィングを速くすると体重を増すの二つしかない。バットスウィングを速くする為には、それなりに努力が必要になるだろうが、体重を増す為には、とりあえず飯を食えば良いだけなので、そんなに難しい事ではない。すなわち、飛距離を出す為に最も効果的な方法は「体重を増やす」という事になる。

 飛距離を出す為には、バットスウィングを速くするに異論のある方はまずいないだろうが、体重を増すには何故と思う方も多いかもしれない。しかしながら、これは上に挙げた物理学的な理由の他に、経験的に言ってもまず間違いない。たとえば、歴代のホームラン王を思い浮かべてみても、ベーブ・ルースを始め、中西太、野村克也、門田博光、最近では中村剛也等々ポッチャリ型が多い。バリー・ボンズもホームラン数が増したのは、晩年になって薬、もとい体重が増してからのことである。勿論、アレックス・ロドリゲスや王貞治のような例外もいるにはいるけれど。
 また、子供の頃、遊びの野球で、運動神経の全然ないデブが時折ビックリするような長打を放つ光景を記憶している人は多いと思う。相撲取り野球大会でも、皆同様にボールを飛ばす。また、4番打者になりホームラン数を増やそうと悩んでいた若き日の落合が、落合夫人に「太ればいいのよ。ホームランバッターってデブが多いじゃない。」とアドバイスされ、理由は良く分からぬままも、ものは試しと、それをとりあえず実行したら、本当にホームラン数が伸びたなんて話もある。

 といった実例からも分かるように、体重と飛距離は比例関係にある。飛距離を伸ばす為に、バットを重くするなんていうのも同じ理由であるが、バットを重くすれば、その分スウィングスピードは、どうしても落ちるので、バットを30グラム重くするぐらいだったら、体重を3キロ増した方がはるかに効果的だろう。勿論、野球の場合は打撃だけではなく、守備や走塁も当然あるので、体重を増やして、そちらが疎かになっては元も子もないのであるが。単純に、飛距離を伸ばしたいだけなら、体重を増やす事が最も効果的であるのはまず間違いない。

 さて、篠塚の本に話を戻す。と言いたい所なのであるが、えらく長くなってしまったので、ここで一旦話を切ろうと思う。次回は、その篠塚の本の話から。なんかもはや、「HCの仕事」という表題どころか、フットボールからも随分話が離れてしまったのであるが、書いてて面白いからどんどん続ける。続くったら続く。

 そういえば、ティーボーはジェッツに決まりましたね。何故にティーボー。ジェレミー・リンに対抗する気か。

 更に、そういえば、サタディはGBに決まりましたね。GBのチーム事情は良く分からんが、何故にサタディ、もう引退間際なのに。コーチ兼任的な役割か。そうして、何故にGB。地元って感じでもないし。非常に唐突な感じを受けた。単純に、金。

 更に更に、そういえば、ショーン・ペイトン、2012シーズン出場停止って。マッデン・カバー・ジンクス、恐るべし。

                                        2012/3/27(火)

 さて、もはやHCともフットボールとも全然関係の無い篠塚の本の話の続きである。

 前回、篠塚のバッティング理論の内、手首についての理論は全く以って正しいとしてきたが、この本「6歳からの広角打法」の中で、最も特筆すべきは、バッティングにおいて最も重要なのはトップの位置を決める事であると断言している点である。この点を意識している人は、野球の専門家の中でも意外に少なく、先に挙げた古田の本における私の最大の不満は、もしかしたら読み飛ばしちゃったのかもしれないけれど、古田がこの点について全く言及していなかった点である。
 もっとも、当の古田は、このトップを決めるという点に関しては、キャリアの割に早い時期からしっかり出来ていたので、古田の意識の中ではわざわざ留意すべきポイントではなかったのかも知れぬ。

 しかしながら、「トップが決まれば、あとは自由自在。」という言葉があるくらい、バッターにおいて、このトップを決める、より正確に表現すれば、構えからトップの位置までの一連の動きというのが、キャリアを通しての最大のテーマになる。イチローや落合が、その年齢に応じて、この動きを変化させてきたというのは、彼らほどのバッターにしても、結局はここに四苦八苦しているという事の現れであろう。ほとんど無意識にこれが決まっていた古田の方が例外なのである。

 ちなみに古田というプレイヤーは、このバッティングに限らず、スローイングやキャッチングにおいても、おそらく日本プロ野球史上でも屈指であろう運動神経と柔軟性を武器にしてきた特殊な選手なので、その打撃理論や捕手理論は彼独特のものであり、あまり一般性は無いように思う。そういった意味、圧倒的な運動神経と柔軟性という意味では、ポジションは異なるが、杉浦忠がそれに近い選手だったと思う。両者ともに、野村克也と因縁があるという点では不思議なものがあるが。実際、この両者は、野村克也にとって、彼の人生最大の二つの出会いといってよいだろう。

 古田に話を戻すと、そのバッティングも独特であったが、特にそのキャッチングやスローイング、即ちキャッチャーとしての技術は、世界的に見ても前代未聞、今後現れぬとまでは言わぬが、当分出てこないような、世界野球史的にみても稀有な選手だったと思う。全盛期、すなわち入団して2,3年ぐらいの頃、私は、古田がピッチャーのワンバウンドのボールをそのままショートバウンドで捕り、更にあろうことか、そのまま2塁に送球して、盗塁を試みた一塁ランナーを射したシーンを見たことがある。あんなのは前代未聞、それこそ全盛期の古田にしか出来ない前代未聞空前絶後のプレイだったと思う。サンティアゴやイバン・ロドリゲスでも古田のようなプレイは不可能だったろう。あたかも内野手のように捕手を務めた選手、それが古田敦也だった。リード面では森、バッティングでは野村に軍配が上がるだろうが、こと守備に関しては、はっきり古田が日本プロ野球史上ナンバー1キャッチャーだと私は断言できる。

 さて、トップの話に戻すが、バッティングとは結局はタイミングとよく言われるが、ではタイミングを作るのは何かというと、それは結局、この構えからトップまでの一連の動きなのである。この動きが自然に出来ている時はタイミングが合い、出来ない時はタイミングが合わない。結果、この動きに四苦八苦するのがバッターのキャリアといってよいだろう。
 ちなみに、中田翔のバッティングで私が最も不満なのは、この点である。彼は高校時代からこの動きが本当に下手だった。高校3年生時、この動きが天才的に滑らかだった清原とは、その点では非常に好対照である。その清原と中田を比べる世間を私は、はっきり言って、嗤っていた。この打ち方だと、どうしても出会い頭的な打ち方しか出来なくなり、右バッターだと2割5分20本塁打が限界になる。「20本塁打なら、それで合格だ。」という声もあるかもしれないが、プロ野球に入ってくるようなバッターだったら、守備専門の余程非力な選手でない限り、シーズンを通して3番4番的な自由なバッティングが許されるなら、誰でもこれくらいのホームラン数は打てる。500打席で20本というのは、ホームランだけ狙っていれば決して難しい数字ではないだろう。では、何故多くのバッターが20本塁打できないのかと云えば、それはほとんどのバッターは様々な制約の中でバッティングをしているからである。とにかく塁に出てくれとか、とにかく球数を投げさせてくれとか、とにかくランナーを返してくれとか、ほとんどのバッターは大概何らかの制約の中でバッティングをしているからだ。

 かつて王貞治が「自分のチームプレイはホームランを40本以上打つ事なんだ。それがクリアできない時は辞める時だ。」と語っていたが、これは全くその通りで、ホームランは40本以上打って初めてチームに貢献したといえるのであって、30本台ではお話にならぬのである。これは私の実感として、間違いなくそう言える。30本台だったら3割5分くらいは打って貰わないと、チームに貢献したとはいえぬ。2割5分くらいだったら、逆にチームに迷惑なくらいである。かつて、広島にいたランスが2割1分8厘39本塁打で、全く戦力にならなかったのが、その良い、つうか悪い例である。ホームラン狙いというのは、それくらいチームにとってリスクの多いバッティングスタイルなのである。もっとも、その一方でホームランバッターがチームに必要不可欠なのも、これまた事実なのではあるが。

 さて、中田に話を戻すと、このトップまでの一連の動きの悪さを自覚してかは分からぬが、最近はあらかじめトップの位置でバットを構えているようである。これはこれで、ひとつの解決策ではあろう。ちなみに、最近の若手の中で、このトップに持っていくまでの一連の動きが最も滑らかなのが、ジャイアンツの坂本勇人である。彼が高卒2年目から活躍したのも頷ける。これは上に書いた古田とも共通しているが、トップの位置が決まっているバッターというのは大概内角打ちが上手いものである。私は山内一弘のバッティングフォームを見たことは無いが、彼もまたトップの位置がしっかり決まっていたのではないだろうか。

 トップ話の最後にもうひとつ、私が先に書いた「トップが決まれば、あとは自由自在。」というのは私は広沢克己の口から聞いたのであるが(この言葉自体は球界に古くからあるのだろう。)その当の広沢のバッティングは、そのトップが決まっている時は、まさしく自由自在、手が付けられないバッティングをするのであるが、一度それが狂うと全く打てず、スランプが続く。んで、問題のその比率はというと、シーズン6ヶ月のうち、1ヶ月ぐらい好調が続き、残り5ヶ月は全部スランプというのが、広沢克己のバッティング・スタイルだった。それにまんまと騙されたのが、長嶋巨人軍である事は、言うまでもあるまい。

 このトップの位置を決めるというのが、バッティングに於いて最も肝要であるというのは、篠塚がその著書で強く説くところであり、私も全く以ってその通りであると思う。このトップの問題や、先に触れた手首の問題のほかにも、この本「6歳からの広角打法」には、打撃について非常に参考になることが多い。野球関係者、特に、この本の対象となっている少年野球の指導者は是非一読してもらいたいと思う。
 とはいうもの、ここに説かれている内容が、そのまますぐに6歳児に通用するとはちょっと思えない。将来プロを目指すような子供にとっては有益かもしれないが、このバッティング理論が荒川理論のように間違っているという心算は全く無いが、現実的には多くの子供にはあまりに高度な内容であると思う。この本の内容を少年野球の指導者は皆頭に入れておく必要があろうが、それを全ての子供に押し付けてはならぬと思う。それこそ、子供の才能を見ながら、小出しにすべきだろう。そもそも荒川理論の最大の過ちというのは、日本中の子供に、その誤った理論を押し付けたという点にある。

 とまあ、この本「6歳からの広角打法」に書かれていることについて、私は概ね肯定するが、不満がないわけでは無い。それはここに説かれているバッティング技術が、原則的にアベレージヒッター、特に左のアベレージヒッター向きのものであるという点である。篠塚自身が左のアベレージヒッターだったので、それは致し方ないところであるが、これをそのまま右バッター、それも右のプルヒッターに適用すると、大火傷するだろう。
 もちろん、篠塚自身もこの著書の中で、「私のバッティング理論はアベレージヒッター用である。」と断っているけれども、左打者用であるとまでは断っていない。

 この左と右でバッティングが大きく違うというのは、謂わば盲点で、プロ野球選手の間でも、この篠塚同様、はっきり指摘する選手は少ない。というか、ほぼ皆無である。自分の成績に直結する事でもないので、スイッチヒッターでもないかぎり、こんなことを意識する事はないのだろう。右バッターは右バッターだけのバッティング理論、左バッターは左バッターだけのバッティング理論を追求している、このへんが、理論と実践の違いの面白さである。

 私はここに、それを意識しているのはほぼ皆無と書いたけれども、もちろんそれを意識している選手もいて、その数少ない例外が落合である。また、野村もそれに気付いている節があるのであるが、確証は無い。
 ただし、落合はさすがにそれをはっきり意識していて、確証もある。落合はかつて、松井の若い頃、そのバッティングについて、インタビュアーに聞かれて(インタビュアー、つうか、多分明石家さんまだったけど、)、「左で良かったね。」とはっきり答えていた。これは右と左ではバッティングが違う事をはっきり自覚している証拠である。これをはっきり自覚している人は、意外に少ない。篠塚ほどのバッターでも、である。

 では、その左と右のバッティングの決定的な違いは何かというと、左はスウェイしても打てるのに対し、右はスウェイしたら、まず打てぬという点である。この篠塚の著書「6歳からの広角打法」でも、「ボールを打つ際は、体重移動をして、体をピッチャーにぶつけるようなイメージで打つと良い。」と説かれているが、これは確かに、左ならこれで良いかもしれない。イチローやオマリー等々、スウェイしながら打つ左バッターは沢山いる。
 また、面白いのは、藤田元司元巨人軍監督による王のバッティングについての解説で、「王のバッティング理論というのは、要するに、『詰まるぐらいなら、泳げ。』ですから。」と発言していた。また、イチローがかつてジーターについて聞かれ、「ジーターの凄いところは、詰まることを恐れない事ですよ。」と回答していた。

 これらは、表現は変えながらも、いずれも言っている事は皆同じで、要するに異口同音に、「左は泳げ。」と言っているのである。更に表現を拡大するならば、「左は詰まるより泳げ、右は泳ぐより詰まれ。」という事になる。すなわち、バッティング理論が正反対なのである。

 では、何故そうなるのかと言うと、答えは簡単で、ピッチャーのほとんどが右だからである。まあ、最近は左に対してこれでもこれでもかと左をぶつけてくるチームも多いが、なんのかんの言っても、ピッチャーの多くは右である。8割くらいだろうか。
 で、その右ピッチャーの投げる、外に逃げる球、スライダー、カーブ等々への対応を、右バッターは宿命的に迫られているからである。この外に逃げる球に対して、左バッターの様に泳いでいたら、絶対にと言ったら大袈裟かもしれないが、まず打てない。まあ、この辺の球をちょこっとバットを投げ出すようにしてライト前に持っていく古田のようなバッターもいるにはいるが、これはあくまで例外である。上記したように、古田の数多い特殊なプレイのひとつであり、普通は真似できないし、また、しない方が良い。

 この外に逃げていく球に対しての右バッターの対応策は、結局のところ見逃すしか方法は無い。また、見逃せば、大概ボールである。そうして、見逃す為には、キャッチャー側に体重を残す、すなわち体重移動をしないバッティングをせざる得ない。もちろん、思いっきり一塁側に踏み込めば、逃げるスライダーも打てなくは無いが、そのためには、かなりの高確率でスライダーを読みきる必要がある。というか、右バッターがスライダーを一塁側に思い切り踏み込んで打っている時は、大概、クセが明らかになっているか、サインが盗まれているかのどちらかである。そうでもなければ、右バッターは一塁側に思いっきり踏み込む事は出来ないからだ。それ以外のボールがまるで打てなくなってしまう。

 一方、左バッターは、この逃げる球対策は強いられない為、キャッチャー側に体重を残す必要が無い。むしろ、右ピッチャーのカーブやスライダーなどは、スウェイした方が打ちやすいぐらいである。所謂曲がりっぱなを叩く、である。イチローが低めの変化球に滅法強いのもここに理由がある。
 逆に、左バッターが体重移動をしないと、今度は右ピッチャーのストレート、即ち右ピッチャーのクロスファイアが打てなくなる。すなわち、詰まる。ボンズや松井のように、特別スウィングスピードが速ければ、話は別だが、普通は詰まってしまう。落合が左ピッチャーの何でもないストレートをよく空振りしていたなんていうのは、これを裏返しにした現象である。もちろん、上記したように、左ピッチャーの絶対数自体が少ないので、落合を始め、右バッターはこの対策を取る必要が無いのである。

 ちなみに、同じ理由で、右バッターは所謂開いても打てるのに対し、左は開いたらまず打てない。もっとも、右でも開いたらなかなか打てないのであるが、例外はいる。古くは長嶋茂雄、山本浩二、落合博満、二岡智宏といった面々である。もっとも、あくまで例外なので、開かない方が良いのは当然である。一方、左バッターで開いて打っている選手を私は一人も知らぬ。前述した古田の本の中で、松中は開いて打てる選手だという記述があったが、松中が開いて打っていたという印象は私にはない。

 松中のバッティングフォームはともかくとして、こういった点を、篠塚にも一言断って欲しかったのであるが、そういう記述はこの本には無い。それが、私のこの本「6歳からの広角打法」への唯一の不満である。そうはいっても、全体的にも非常に優れた本なので、少年野球の指導者は是非一読してもらいたい。ここに今挙げた事の他にも、「ストライクゾーンから、ひとつ外れたボールも打てるようにしなければならない。なぜなら、ピッチャーというのはボールとストライクのギリギリを狙って投げてくるからである。」なんていうのは非常に鋭い指摘だと思う。これら以外にも、さすが篠塚というような見識に溢れている本なので、野球指導者は非常に参考になると思う。

 とはいうものの、何度も繰り返して重ねて言うが、これを選手、特に子供に強要するようなことがあってはならない。問われた時に教える程度で十分だろう。篠塚のバッティングフォームの写真を見ながら、足や腕の位置を直すなんていうのは愚の骨頂である。それこそ、この本の中で、篠塚が説くような、変な癖が付いてしまうだろう。フォームや技術というのは、何度も重ねて言うが、当人の体格や運動能力、頭脳、性格等々によって決まってくるものなので、形だけ真似する事には何の意味も無いし、むしろ有害である。

 むしろ、子供への指導で必要なのは、ここに述べたような、トップの位置とは何なのか、手首を返すとはどういう意味なのか、といったような技術の理屈を教えることであると私は思う。いうならば、体で覚えるのではなく、頭で覚えておく事である。体なんていうのは、特に子供の場合は、日々刻々と変わっていってしまうので、体に覚えこませるのは事実上不可能である。でも、理屈は、理論そのものが変わらぬ限り、不変であるから、体がどんなに変わっても、対応できる。

 こういう考え方というのは、「習うより慣れろ。」「六つ子の魂」といった考え方に反するものかもしれない。ただ、こういった理屈、構造といったものを知っておくのは決して無駄にはならないと思う。かつて読んだコンピュータープログラミングについての本の中に「優れたプログラムを作る為には、数多くのコンピューター言語を学ぶ事も確かに大切である。しかし、それ以上に大切なのは、これは無意味であると思われるかもしれないが、コンピューターというのが如何なる機械なのか、その内部で何が起こっているのかを知っておく事である。これを知っていると知らぬでは、そのプログラムに雲泥の違いが生まれる。全てのプログラマーはパソコンの自作ぐらいは出来なければならない。」という記述があった。これは全くその通りだと思う。技術そのものを身に付けることも確かに大切であるが、その技術の構造を知っておくというのは、ある意味それ以上に重要だと思う。そもそも、この技術の構造を考えるという習慣があれば、荒川理論の蔓延といった悲劇も起きなかったであろう。

 荒川理論の否定の為に、得意の紆余曲折をしてきたが、一方で、その荒川理論でも打つ事ができる、打ってきたバッターがいたというのが次回の話になる。すなわち、気が付いている人は気が付いているだろうが、荒川理論の一番弟子、榎本喜八の話である。ここまで、私が全面否定してきたバッティング理論でも打つ事ができるというのが、技術というものの面白さであろう。

 スクロールする指も疲れてきたので、ページを改めます。続きは次ページで。

                              ニャンと鳴く犬が欲しい。 2012/4/6(金)

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