インディアナポリス研究会

中年の主張

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<1/……/11/12>

56と40239  スポーツに限らず、この世にはいろいろな記録があるけれども、それらは大きく二つに大別できる。時代的制限を受けている記録と受けていない記録の二つである。
 具体的に云えば、金田の400勝やサイ・ヤングの511勝が前者であり、王の868本塁打やバリー・ボンズ、おっと間違い、ハンク・アーロンの755本塁打などは後者であろう。

 とりわけ、野球における先発ピッチャーの記録の多くは、ローテーションという戦略の確立した現在では、金田やサイ・ヤングの時代の記録を抜くのは、彼等と同等の能力を持った選手が現れてきたとしても、100年後はともかく、20年、30年後ぐらいまでは、この戦略が続くであろうから、なかなかに難しいであろう。

 ちなみに、金田の時代のピッチャーが一体どんな調子で登板していたかというと、金田の有名なゲーム、あの長嶋の4打席連続三振のゲームであるが、あの試合、金田は11回14奪三振の完投勝利、しかも6回までパーフェクトの内容だったのであるが、翌日のダブルヘッダーの第1試合(!!!)に、8回から登板し、長嶋、川上を連続三振、つづく9回に先頭打者にワンヒットを許すものの、後続を3者三振で締め、2イニングで5奪三振(!!!)の投球である。ちなみに、第2試合も国鉄が勝利し、この年は国鉄が対巨人開幕3連勝した訳であるが、一方で、長嶋は、つまり対金田5打席連続三振だった訳である。6打席目は知らん。気になる方は、自身で調べてちょ。

 これは、金田に限らず、当時のピッチャーの登板模様だった訳である。

 例えば、有名な「神様、仏様、稲尾様」であるが、これも同じく昭和33年であるが、あの日本シリーズで、稲尾がどのように投げたかというと、

 第1戦:10/11、先発4イニング3失点、自責点2、73球、敗戦投手
 第2戦:10/12、登板無し
 第3戦:10/14、先発9イニング1失点完投、自責点1、94球、敗戦投手
 第4戦:10/16、先発9イニング4失点完投、自責点4、126球、勝利投手
 第5戦:10/17、4回からリリーフ、7イニング無失点&サヨナラホームラン(日本シリーズ史上初)、67球、勝利投手
 第6戦:10/20、先発9イニング完封、108球、勝利投手
 第7戦:10/21、先発9イニング完投1失点、自責点1、110球、9回長嶋に意地のランニングホームランを喫するも勝利投手

 と、11日間で、実に47イニング578球。中6日100球で交代の現代感覚からすると、およそ現実とは思えない投げっぷりである。現代の投手を同じように起用したら、世界中の野球関係者&野球ファンから吊し上げ必至であろう。

 1イニングあたり約12.3球。単純計算だと、アウト一つ取るのに約4球しか使っていない。このへんはさすが稲尾といったところであろう。制球配球を含め、投球術は、間違いなく史上最高である。和製マダックスといったところか。というか、マダックスがメジャー版稲尾といったところであろう。

 ちなみに、このシリーズ、稲尾の活躍酷使ばかりが語られるが、巨人のエース藤田も同じく6試合登板している。33イニングで457球、1イニングあたり約13.8球。しかしながら、防御率は稲尾の1.53に対して、藤田は1.08。
 参考までに、翌年の杉浦の4連投4連勝はというと、杉浦は4試合、32イニング、436球、防御率1.41であり、藤田は3試合、22イニング、306球、防御率4.08。翌年の秋山も含めて、まあ、そういう時代だったという話である。ちなみに、シリーズ4完投は稲尾のみの記録ではなく、杉下もしている。

 さて、では、現代のピッチャーが同じように投げられないのかと云えば、それは投げられると思う。まあさすがに、この稲尾の投げっぷりは、当時でも別格だったかもしれないが、それに近い登板数は、現代のピッチャーでも十分可能であろう。どう考えたって、当時のピッチャーより現代のピッチャーの方が、肉体事情健康状況は改善されているのだから、バッティング技術の向上を加味しても、それに近い登板数は可能な筈である。

 まあ、それはコンディショニングとか怪我の予防みたいな観点から、現代は否定されていて、私もそれにおおむね異を唱えるつもりはないけれど、ちょいと異を唱えさせて貰えれば、コンディショニングとか怪我を考慮して150勝くらい挙げるより、20代前半の絶頂期に投げまくって200勝300勝した方が得策みたいな考え方が出てきても良いと思う。

 数年前、似たような事を書いて叩かれた事があるので、この話はこの辺でよしておくか。良識派を刺激しても、つまらないしな。

 ちなみに、稲尾や杉浦、権藤、秋山等々の登板過多に対して、「監督が自身の勝利のために、ピッチャーを潰している。」みたいな批判は当時からあって、それに対して、三原や鶴岡を擁護する山口瞳の文章を、私はかつてどこかで読んだと記憶している。

 さような訳で、今現在、あるいは、これから近い将来、金田や稲尾に近い実力を持ったピッチャーが現れたとしても、金田の400勝や、杉浦の38勝4敗、稲尾の42勝などは、実力的にというよりは、戦略的に不可能であろう。田中の24勝0敗が最も完全に近い数値かと思われる。

 ちなみに、話はちょいと逸れるが、ピッチャーの勝ち星の増やし易さという意味では、一つの理想のパターンが金田のそれである。つまり、自身の若い頃、力のみなぎっている20代は弱いチームに在籍して、自身の登板回数を増やし、力の落ちる30代は強いチームに在籍して、勝ち星を稼ぐという方法、というかチームの巡り会わせである。

 この理想的なパターンに嵌ったのが、金田であり、米田や梶本であり、鈴木啓示であり、なんといっても東尾修である。一方で、逆のパターン、20代の頃チームが強く、30代にチームが弱くなったのは、代表格が堀内恒夫であり、村田兆治もそのパターンであったろう。鈴木が317勝、東尾が251勝しているのに対し、堀内の203勝、村田の215勝は、いかにも少ない。まあ、堀内の場合は、本人の練習不足もあるだろうが、鈴木や東尾と堀内、村田の間に、それほど力の差があるとは思えない。チームの巡り会わせは、その大きな要因のひとつだと思う。

 一方、一貫して強いチームにいたピッチャーとしては、小山正明や山田久志などがいるが、小山の320勝、山田の284勝は、そういう数字であり、一方、一貫して弱いチームにいたピッチャーとしては、平松政次や松岡弘(一瞬、強かったが、)などがいるが、平松の201勝や松岡の191勝などは、そういう数字であろう。小山はともかく、山田と平松の80勝の差というのは、チーム力の差であったと思う。

 さて、話を金田の400勝に戻すが、「金田の記録には時代的制限がある」として、私はその価値をやや貶めた訳であるが、もう一つ貶めたいと思う。草葉の陰の金田さん、許してください、僕はそういう人間なんです。

 金田本人が、ああいう性格なので、「ワシは唯一の400勝投手」と自己喧伝の限りを尽くしていたが、確かに400勝は間違いなく400勝だけど、それはあくまで400勝であって499勝ではないという点はあると思う。考えようによっちゃあ、399勝プラス1勝でしかないとも云える。屁理屈と云えば屁理屈だろうけど、同じ400勝といっても499勝と400勝では価値が全然違うと思う。
 しかも、ここが大事な点なのであるが、300勝投手は、上述の米田以下5人いるのである。言い方を変えると、300勝以上した6人のピッチャーのうちの最上位が金田だとも云える。

 そこで、世界の王との比較になるのであるが、王の868本というのは、当然ながら800本台後半である。金田の400勝と違って、ギリ800本ではない。しかも、800本台は王ひとりで、700本台は無し、600本台は野村の657本ただ一人で、500本台に至って門田の567本以下6人という数値なのである。王は史上唯一の800本塁打達成者であり、史上二人の600本塁打達成者であるのだ。

 その記録の価値を測るにあたって、日本のマスコミはあまりこれをしないのであるが、突出度、ダントツ具合というのは結構大事な指標だと思っている。全体の中でどれだけ突出した数字か、あるいは第2位にどれだけ差をつけているかというのは、結構大事な数値だと私は思っている。
 全勝利数や全本塁打数から金田や王の数字を測っても、数が小さすぎて、いまいちピンと来ないであろうから、第2位との差を数字に出すと、金田の400勝に対し、米田の350勝は87.5%であり、王の868本に対し野村の657本は75.6%となる。しかも野村の657本は、米田の350勝とは違って、傑出した657本であるから、王の突出度ダントツ具合は金田のそれより断然上といってよいであろう。

 ちなみに第3位との比較となると、金田は80%、王は65.3%と、王のダントツ度はより高まる。また、通算安打だと張本と2位3位の比較は、それぞれ94%、90%となる。

 しかも、前述したように、王の記録は金田の記録と違って、時代的制約を受けないものである。というか、ほとんど年間130試合制で868本打った王より、年間140試合以上の現代の選手の方が、はるかに有利な条件である。年間10試合増えると、現役20年で200試合も多くなる。仮に4試合1本換算だと50本優位な立場にいる。それでいて、現役最多は中村の420本、王どころか野村の記録も厳しいだろう。
 また、もし、松井がメジャーにいかず、日本で野球を続けていたら、という仮定はあるにはあるが、野村の657本はともかく、868本はかなり厳しいと云わざる得まい。

 事程左様に、記録のダントツ度傑出具合というの結構重要な指標かと思われるが、アメリカの事情は知らんが、少なくとも日本のマスコミでは、あまり話題にならない。
 例えば、昨季、村上の十代30本塁打が話題になり、清原と比較する議論があり、清原は、みずから「あくまで1年目の自分の方が上だ。」と発言していた。確かに、同じ高卒でも、1年目と2年目なら1年目の方が価値があるであろう。しかしながら、同じ30本台でも、村上の36本は、シーズン1位のソトの43本、2位の坂本の40本に次ぐ、第3位の36本である。一方で、清原の31本は、落合の50本、ブーマーの42本、秋山の41本等々に続く、6位タイの31本なので、ダントツ具合という意味では、村上より低い。もっとも、打率は3割打っているので、2割3分の村上とは比較にならないけど。

 ちなみに、またちょいと話は変わるが、清原の一年目で何より特筆すべきは、31本塁打でも打率3割でもなくて、ルーキーながらファーストのレギュラーを獲ったという点だと思う。私も、40年近くプロ野球を見てきた(年齢がばれるな、)けれども、高卒どうこうと云う前にルーキーがファーストのレギュラーを獲ったのは清原ただ一人だと思う。他に記憶がない。

 以前もどこかで書いたと思うが、投手に比べ野手は一年目から活躍にしにくい。理由は簡単で、レギュラー枠が少ないからである。しかも、投手に比べ、ケガも少ない。したがって、実力以前にチャンスが回ってこない。その中にあって、比較的チャンスが多いのが、セカンド・ショートの二遊間、あるいはキャッチャーである。外野だと、両翼よりはセンターである。要するに守備重視のポジションである。

 これは、ベテランの方が打撃有利というよりはむしろ、ベテランになると肉体的な衰えから守備力が低下するので、結果若手にチャンスが回ってきやすいという事なのであろう。
 リーグ全体で、セカンド、ショート、センターだと5年に一人、キャッチャーだと10年に一人くらい、ルーキーでレギュラーを獲る選手がいる印象である。キャッチャーは意外に思う方も多いだろうが、強肩とか強打みたいな武器があると、ひょっこりルーキーイヤーにレギュラーを奪うケースがある。田淵とか中尾とか古田とか阿部である。さすがに高卒レギュラーは聞いた事が無いけど。

 一方で、レフト、ライト、サード、そうして、とりわけファーストは、まずルーキーにお鉢が回ってこないポジションである。先に述べたように、守備力の衰えたベテランが付くことの多いポジションであるし、なにより外国人の守るポジションである。助っ人なのだから、当然レギュラーが特権的に与えられる。これらのポジションで、ルーキーイヤーにレギュラーを奪ったのは、ここ最近だと、ライトの高橋由伸ぐらいしか思いつかない。それも20年前だけど。
 小早川もルーキー時代はセカンドを守る事が多かったし、これはルーキーではないが、あの落合ですら、入団当初はセカンドを守っていたのである。すなわち、あの落合を以ってしても、レオン、有藤の牙城を崩せなかったという事になる。多分、山崎の後釜という形でセカンドに入ったのだと思う。

 こうした事情もあって、アマチュアの強打書でも、ファーストしか守れない、とりわけ左利きのファーストは、どれだけバッティングが良くても、それだけの理由でドラフト順位が下がったりする。しかも、そこを強行指名すると、たいがい失敗する。最近ではヤクルトの武内とか、ちょいと古いが巨人の大森とか、パンチ佐藤は右利きであるけれども、一塁しか守れなかったのが、プロで活躍できなかった理由の一つだと思う。

 という訳で、アマチュア時代、どんな強打者であっても、ファースト、とりわけ左利きのファーストは外野手能力が必須となる。稲葉は大学時代から外野の練習をしていたらしいし、駒田もデビュー当初は無理矢理外野を守っていた。また、今ちょっと調べて判明したのであるが、広沢はルーキーイヤーから2年間ファーストで出場していたらしい。しかし、3年目、レオンや、あのボブ・ホーナーに押し出される形でライトに転向している。

 事程左様に、ルーキーがファーストのポジションを奪うというのは、実力以前に、プロ野球のチーム構造的に、非常に難しい事なのである。そもそも、ルーキー云々を抜きにしても、キャリアのほとんどでファーストを守っていた選手といったら、ここ最近だと、松中、福浦ぐらいしか思いつかない。

 このルーキーがレギュラーを奪うのが最も難しいファーストというポジション、しかも日本人が守るのが最も難しいポジションを、ルーキー、しかも高卒で奪ったのは、ここ50年くらいでは、清原ただ一人だと思う。榎本、王以来なのではないだろうか。しかも、榎本はともかく、王の場合は、チーム事情&期待値込みのレギュラーである。
 したがって、清原のレギュラー奪取は相当貴重な記録であり、先に述べたような諸事情を考慮すれば、もっと讃えられて良いし、当人ももっと誇ってよい記録だと思う。もっとも、村上も高卒3年目でファーストのレギュラーを奪ったけれども。

 で、ここまで書いてきて、ちょいと思ったが、ファースト同様、サードもルーキーがレギュラーを獲るのは非常に難しいポジションだと思う。ルーキーでサードのレギュラーと云ったら、原ぐらいまで遡らなければならない。しかも、その原も、開幕当初はセカンドで、中畑の怪我により、サードに収まった訳であるし。純然たるルーキーのサードといったら、有藤ぐらいまで、遡らなければならないのかもしれない。まして、高卒という縛りを入れたら、掛布ですら準レギュラーぐらいだし、純然たる高卒レギュラー・サードとなると、中西太まで遡らなければならなくなってしまう。その前は、藤村冨美男か、と思って、調べてみたら、入団当初は、主にピッチャーとセカンドだったみたい。

 まあ、このルーキーレギュラー話は、私の記憶&調査にも限度があるので、思わぬ選手が漏れているかもしれない。その際は、許してちょ。

 と、ずいぶん話が逸れてしまったが、ここらでもういっちょ話を金田の400勝と王の868本に戻す。記録の突出度という点では、王の868本は金田の400勝をしのぐと先に私は書いたけれど、この突出度という点において、この二者をはるかにしのぐ記録が存在する。
 それは、福本豊の1065盗塁である。なにしろ、2位の広瀬が596盗塁なのである。実に55.9%。2位の倍近い数字を残している通算記録というのは、ちょっと他に例は無いのではないだろうか。ペレとかマラドーナにはそういう記録があるのだろうか。少なくとも、日本プロ野球には他にない記録だと思う。調べてないけど。ちなみに、シーズン盗塁数上位3傑も福本だったりする。

 金田と違って、本人はああいう性格なので、自己喧伝はおよそしないが、これこそ、恐るべき大記録だと思う。

 ただ、冒頭に書いた記録の分別法では、どっちかというと時代的制約を受けている記録なので、そういった意味では、王の868本よりは価値が落ちるかもしれない。もっとも、ピッチャーのローテーション戦略よりは、盗塁積極策みたいな考え方の方が生まれる可能性はまだ高いと思うので、そうなった場合は、この記録の価値の輝きは増すかもしれない。

 ちなみに、メジャーリーグの記録はリッキー・ヘンダーソンの1406盗塁であり、2位のルー・ブロックは938盗塁なので突出度は66.7%、福本には及ばないものの、色々なメジャーリーグの中では、かなり突出度の高い記録だと思う。調べてないけど。

 とまあ、いろいろ書いてきたが、タイトルの「56と40239」とは全然関係ない話なのであった。本題はいよいよ次回。なんじゃ、そりゃ。

                         秋の虫が鳴き始めた。2020/8/19(水)

 前回の記事で王の868本について触れているが、もし大谷がメジャーリーグに行かず、ヤクルトあたりに入って、二刀流か打者専念かはともかく、大過なくキャリアを全うしたら、868本を抜いたかもしれん。野村の657本は十分射程圏内だったと思う。惜しい。

 でも、大谷はホント飛ばす。私のン10年の野球観戦歴では間違いなくナンバー1である。清原や松井以上である。まあ、日本プロ野球史上でもダントツナンバー1だろうし、メジャーでも、ナンバー1かはともかく、最近じゃあ、ジョシュ・ハミルトン以来の飛距離なんて言われているぐらいだから、MLBの歴史でも屈指の長距離ヒッターであろう。

 まあ、なんつーか、今まで見た事のないような打球を飛ばす。お得意のインサイドのボールを左中間への高い弾道でのホームランといい、泳ぎながらちょこんと当てただけでのグリーンモンスター越えといい、ちょっと、今まで見た事のない打球である。えらい選手が出てきたもんである。長生きしてみるものだ。

 つー訳で、1年振りの「56と40239」、いよいよ本題である。前回すぐに書こうと思っていたら、NFLの開幕が来ちゃって、それっきり早一年。今日出来る事は明日やる主義。

 スポーツに関する数字で「56」といえば、すでに多くの人はお気づきであろうが、無論、ジョー・ディマジオの56試合連続安打の「56」である。

 この世には数多くのスポーツに関する記録があるであろうが、その中で、最も偉大かはともかく、最も不思議な、あるいは最も面白い記録が、この「ジョー・ディマジオの56試合連続安打」であると、私は思うのである。

 この記録の面白さ不思議さは二つあると思う。一つ目は「パッと見、たいした事なさそう」である。世の中には、スポーツに関する記録は数あれど、王の868本や金田の400勝のように、聴いただけ、あるいはちょっと計算しただけで、その偉大さ、難しさの分かる記録というものがある。つかまあ、大概は、そういう記録であろう。だから「記録」なのである。

 ところが、この「56試合連続安打」に関しては、パッと見、そんなに難しくない感じの記録である。約3か月間1試合ヒット1本打てば良いだけなのだから、ほんの3ヶ月間調子が良ければ達成可能な記録のように思える。打率換算なら、せいぜい3割弱で十分な訳である。

 ところが、現実には、この記録はおよそ80年間丸々破られていない。というか、近づいた奴すらいない。私の野球観戦歴もン10年に及ぶ訳だけれども、この記録を破る破らないという話は未だに聞いていない。その間、ハンク・アーロンの755本、王の55本は破られた、にもかかわらずである。

 ちなみに、連続試合安打の次点(つーか、前記録保持者)はウィリー・キーラーの45試合(44試合説もあり)、つづくはピート・ローズの44試合である。近づいてすらいないのである。50試合台はいないのである。 

 また、ちなみに、日本プロ野球での記録保持者は、ご存じ高橋慶彦の33試合。ただし、こちらは次点が長池の32試合(やはり、前記録保持者)。そのほか秋山翔吾が31試合など、30試合台は高橋も含めて7人いて、決して飛び抜けてはいない。ちなみに、イチローには2軍で46試合という記録がある。日本では飛び抜けているが、やはり56試合には遠く及ばない。

 「56試合連続安打」の面白さ不思議さの二つ目は、「誰でも達成可能な記録」という点である。記録というものは、大きく分けてという程でもないけれど、一握りのプレイヤーのみが達成可能な記録と、誰もが達成可能な記録の2種類がある。

 一握りのプレイヤーのみが達成可能な記録というのは、王の868本とか金田の400勝のような、所謂通算記録である。これはスーパースターでなければ達成できない。というか、通算記録を更新するような選手だから、スーパースターになれたとも云える。また、ホームラン記録なども、一握りの長距離ヒッター以外には達成不可能な記録であろう。

 そのホームランに対して、打率は基本的にすべての選手にチャンスがある。これは「誰でも達成可能な記録」といえよう。この手の記録はいろいろあるであろうが、1試合4ホーマーとか完全試合となると、誰もがという訳にはいかないであろうが、1試合3ホーマーやノーヒットノーランあたりだと、思わぬ選手が達成したりしている。タフィ・ローズは開幕戦3ホーマーで消えた、有名(?)トリビア・プレイヤーである。所謂ワンゲーム・ワンダーである。また、ワンイヤー・ワンダー的な記録もあるだろう。

 では、「56試合連続安打」はどうかといえば、これは完全に誰もにチャンスのある記録である。極端な話、この3ヶ月間だけ好調なら、それでよい記録である。それも4割5割打つ必要はない。3割弱で十分達成可能なのである。
 また、更に極端な話をすれば、ピッチャーにもチャンスはある。この記録の規定がどうなっているのか調べていないので、申し訳ないけれど、「自分が出場した試合での連続」という規定ならば、ピッチャーにもチャンスはある。丸々2,3年かけて、出場試合で最低ヒット1本打ち続ければ良い訳である。

 実際、この記録の日本記録保持者は高橋慶彦であり、さすがに「思わぬ選手」ではないであろうが、スーパースターかと問われれば、意見の分かれるところではあろう。単純に、当時の広島のナンバー1プレイヤーは山本浩二であろうし、ナンバー2は衣笠、ナンバー3は江夏か水谷か高橋か、はたまた外木場か、意見の分かれるところではあろう。

 ところが、ジョー・ディマジオは押しも押されぬスーパースター、メジャーリーグどころか、全世界のプロスポーツマンを代表するようなスーパースターである。そういうスーパースターが、「連続試合安打」という「誰でも達成可能な記録」の記録保持者であり、それが丸々80年間破られていない、近づかれてもいないというところに、この記録の面白さ不思議さがあると思う。現実の不思議さ面白さがあると思う。

 しかも、ディマジオは右バッターなのである。この記録は、どう考えても左バッターに有利な記録である。しかも、ディマジオは、この間、すべて4番を打っている。1番2番タイプよりは記録達成にはいくらか不利である。また、スラッガーなのだから、四球や敬遠も多いだろう。そういう選手が、連続試合安打の記録保持者であるという点にも面白さ不思議さはある。

 もっとも、スーパースターであるが故に、微妙な当たり、エラーでもおかしくない当たりも、ヒットとして記録されていたなんて話もあるが、まあ、それは逸話として捉えて良いであろう。記録の陰るものではない。

 また、おそらく、メジャーリーグ史上、この記録に最も適したバッティングスタイルであろうイチローでも、27試合。半分に満たない。

 ちなみに、確率的に、この「56試合連続安打」を調べてみると、まず3割バッターの1試合ノーヒットの確率であるが、1試合4打数換算だと、7割×4打数なので、およそ24%。だいたい1/4なので、おおよそ4試合に1試合はノーヒットという計算になる。
 そう考えると、56試合というのは、4試合のちょうど14倍なので、4試合に1試合の割合のノーヒットの危機を14回連続でクリアして、初めて達成可能な数値という事になる。私は先に「パッと見、たいした事なさそう」と書いたけれども、確率的に調べてみると、やはりなかなかに厳しそうな記録ではある。

 また、ちなみに、単純に「56試合連続安打」の確率を調べてみると、3割バッターが1試合最低ヒット1本打つ確率は、おおよそ3/4なので、その56乗という事になる。おヒマな方、あるいはスーパーコンピューターを所有している方(それほどの計算じゃない)、掛け算してください。ちなみに4の20乗で1兆越えます。正確に書くと、1099511627776です。
 また、0.75の20乗だと、0.003171211938934。およそ、0.3%。これが20試合連続ヒットの確率となる。意外に高いか。1000回に3回なので、2万試合で3回ぐらいの確率となる。56試合は、大きい計算をしてくれるサイトを探して、演算してみてね。

 こういう、スーパースターの保持する面白い記録として、他にパッと思いつくのは、大下弘の1試合7打数7安打(しかも9イニングで!!!))というのがある。そもそも、7回打席に立つというのが、キャリア20年の選手でも、あるかないかぐらいの珍しい事だと思うが、その数少ない、あるいは唯一のチャンスにきっちり7安打してしまうというのは、やはりスーパースターという事なのだろう。

 最後に「7」を付け加えてしまったけれども、「56」はこれでおしまい。最後は「40239」だが、これはしょーもない内容なので、過度の期待は控えるように。

                                          2021/6/15(火)

 しっかし、大谷はよう飛ばすなあ。大谷の飛距離を見てから、ジャッジやスタントンを見ると、彼等が非力に見える。なんつーか、助っ人外国人みたい、大谷の方が。

 大谷がメジャーデビューした頃、私は「これから、二刀流が増えてくる。」みたいな事を書いたけれども、あれから4年、いくらか動きはあるものの、大谷に続く二刀流はまだ現れていない。もう少し、あと5年くらい時間が必要かな。

 大谷フォロワーがいつ現れるかはともかくとして、この大谷の活躍で、「二刀流が不可能」という命題は、100年続いた迷信、先入観に過ぎなかったという事は完全に証明されたと思う。ローテーションの合間に、1日4打席ぐらい打つ事で疲労する奴なんていなかったって事である。4打席打つ事より、しょっぱい女としょっぱいセックスする方がよっぽど…(以下自主規制)。

 また、「練習時間が少ないので、どちらもモノにならない。」なんていう理由付けも、完全な幻想妄想に過ぎなかったって事である。バッティングやピッチングにどれくらいの練習時間が必須かというと、それは人それぞれだから、一概には言えないだろうが、少なくとも大谷に関する限り、練習時間は十分だった訳である。それとも、どちらかに専念したら、今以上の結果を出していたというのであろうか。シーズン100ホーマーとか防御率0点台とか、球速200km/hとか。

 この期に及んで、まだ未だに「どちらかに専念」なんて言っている御仁がいるけれど、こんな、あからさまな結果を見て、それでも、何故まだ自説に固執するのだろう。所謂「自分の考えと正反対の現実を目の当たりにしているにもかかわらず、多くの人が現実より自分の考えを優先する。それも、相当利口な人でさえ。」である。
 二刀流に反対しながら、大谷の成功を見て、掌を返したのは、私の知る限り、野村克也ただひとりである。大谷の日本ハム入団当初は、「プロ野球を舐めている。ピッチャー一本でいくべきだ。」なーんて言ってたくせに、大谷の二刀流の成功を目の当たりにするや、「前言撤回、二刀流大賛成」ときた。自説を簡単に捨てられる事、これは野村の頭脳が優れている事の(優れていた、かな。悲しい。)ひとつの証拠である。君子豹変す。

 自分の考えより現実を優先する、それを科学的といい、現実より自分の考えを優先する、それを思弁的、あるいは宗教的という。

 だいたい大谷に限らず、多くの選手がアマチュア時代は二刀流だったのだから、アマ時代に出来た事はプロでだって出来た筈である。実際、大谷の活躍を見て、悔しい思いをしているピッチャーは多いと思う。金田とか堀内とか桑田とか松坂とか。V9時代の巨人で、ONの次にバッティングセンスがいいのは、明らかに堀内であったし、PL時代の同期で、清原はともかく、松山や内匠より、自分の方がバッティングは良いと桑田は自惚れていた筈である。堀内なんかは、当時二刀流が普通であったなら、投げない日は、5番レフトあるいはライトでラインナップされていただろう。金田なんかも、投げない日は、って、投げない日の方が少ないか。でも、今、金田が生きていたら、「二刀流が許されていたら、俺なら、シーズン80発は打ってた。」、とか豪語していただろうなあ。

 何故に、彼等からプロでバッティングを披露するチャンスを奪ってしまったのだろう。それは、本人は勿論のこと、野球ファンや野球界にとっても、大きな損失だったと思う。大谷の登場で、それらは改善されるであろうし、改善されるべきであろう。

 アメリカのTV番組で、誰だったかは失念してしまったが、メジャーリーグのピッチャーが、「僕は大学時代、『プロを目指したい』と監督に相談したら、『なら、バッティング練習はするな』と言われた。それは、人生で最も悲しい日だった。」なんてような事を話していたけれど、そういう悲劇もこれから無くなるだろう。

 しかし、今になって思えば、「ピッチャーはバッティングをしなくていい、否、すべきではない。」なんて迷信が、世界の野球圏で100年間も遵守されてきたのか、かえって、そっちの方が不思議なくらいである。ローテーション制度の確立とともに、次第にピッチャーはバッターボックスから遠ざかっていったのだろうけど、謎ではある。野球史家の教えを請いたい。

 また、二刀流は、大谷のように、投打に特別に秀でた選手のみに可能だなんて見解もあるようだが、私はその考え方に与しない。むしろ、二刀流は、大谷のようなスペシャルなプレイヤーではなく、1.5流あるいは2流の選手こそ、すべきだと思う。こういう言い方をして、具体例を出すのは、大変失礼だけど、ヤクルトの高井雄平とか、一昔前の遠山とか金村とか愛甲みたいなプレイヤーこそ二刀流向きだと思う。時にバッティング、時にピッチングで、チームに貢献するのである。まして、メジャーリーグはロースターきっつきつなんだから、そういう選手は重宝すると思う。つか、レギュラー以外、ベンチとかブルペンは二刀流必須にすべきであろう。

 「ピッチャーはバッティングをしなくていい、否、すべきではない。」という考え方の根拠に、ピッチャーというポジションの野球というゲームにおける特殊性、所謂「野球はピッチャーだ」という考え方があり、その考え方に私も異論はないが、「野球はピッチャー」だとは云うものの、ピッチャーというポジションを過度に特殊視する必要はないと私は思っている。

 その考え方の根拠になるかはともかく、この問題についてのひとつの論議をここに提出してみたい。

 私の運動神経は、所謂人並み、とてもプロスポーツマンを夢見てよいような運動能力の持ち主ではない。あんまり謙遜するのもリアリティを失うので、軽い数字を挙げると、通知表では「体育」の成績は大概「3」、上手くはまれば「4」ぐらいの運動能力である。

 その私がバッターになり、大谷や千賀とまではいかないまでも、所謂「プロ」のピッチャーと対戦した場合、おそらく、というか必ず、10打席どころか100打席連続で三振だろう。さすがに1000打席ぐらい立てば、目も慣れてきて、1回ぐらいは、まかり間違ってヒットを打てるかもしれないが、さすがにホームランは不可能だろう。半年とか1年、厳しいトレーニングをしても、ホームランは厳しいと思う。

 10回ぐらい打席に立てば、プロのピッチャーからでも1本ぐらいはヒットを打てると豪語、というか軽口を叩いてしまう人は、いつの時代でもいるものであるが、ハッキリ言って、プロのボールはシロウトにはまず打てない。当たりもしないだろう。バントだって、10打席では厳しかろう。まして、変化球も混ぜられたら、ホントに1000打席連続三振もあるかもしれない。プロのピッチャーとはそういうものである。

 ただ、ここで攻守を入れ替えて、素人の私がピッチャー、バッターがプロ、大谷でも松井でも誰でもいい、プロのバッターと対戦したらどうなるだろう。そこで、プロのバッターが素人の私から、10打席連続ホームラン、あるいは10打席連続ヒットを打てるかといえば、それはそれで厳しいと思う。私のへなちょこボールでも、いい当たりが正面を突いてアウトになったり、ほんのちょっと芯を外して大きな外野フライでアウトになる事が、10打席で1度2度はあると思う。実際、オールスターのホームラン競争で10スイング連続ホームランというのは見た事が無い。5スイング連続でも難しいのではないだろうか。

 まあ、落合やイチロー、篠塚だったら10打席連続ヒットもあるかもしれないが、松井や門田でも10打席連続ホームランは厳しいだろう。いや、出来るんか。

 で、私がこれらの推測から何を言いたいのかというと、「ピッチングというのは、そんなに技量的に優れていなくても、そこそこは抑えられる。」という事である。まして、プロ野球選手になれるような運動能力の持ち主なら、被打率3割4割ぐらいのピッチングは誰でも出来ると思う。ピッチャーとバッターの対決では、圧倒的にピッチャー側にアドバンテージがあるからである。

 実際、昨季、巨人の増田が登板して、打者3人から2アウト1四球の結果である。その時の愚にもつかない議論については、ここでは触れない。
 また、メジャーリーグでは野手の登板は、よくある事だし、そこで常に火ダルマになるという話は聞いた事が無い。それどころか、結構抑えて、勝利投手になったりしている。「レギュラー以外、ベンチとかブルペンは二刀流必須」というのは、その発展形である。ピッチャーの出来る野手はもっとピッチング練習をすべきだし、バッティングのいい投手はもっとバッティング練習をすべきだと思う。そうして、積極的にピッチャーとしてバッターとして起用すべきであろう。

 ピッチャーというポジションの特別視、更には神聖視が、二刀流を100年もの間、妨げてきた要因のひとつではあると思う。ここ10年20年くらい、日本はともかく、アメリカの野球関係者や野球ファンの間では「ヒットは何か」という議論が盛んだった。その成果がフライボール革命だし、シフトの多用、OPSの重視であろう。

 しかし、今度は「ピッチャーとは何か」あるいは「ピッチングとは何か」を考えるべきだと思う。あのバカげた「投球制限」を批判するためにも、これは考えるべき課題だと思う。大谷の登場は、その良い契機になると思う。

 しかし、そう考えると、この100年の間、日米双方のプロ野球界で、どれだけ多くのバッティングの才能、どれだけ多くのピッチングの才能が、この「投手専念」「野手専念」という固定観念のために埋もれてしまっていたのだろう。
 そもそも、大谷にしたって、プロ入り当時、多くの野球専門家の助言を鵜呑みにして、「投手専念」あるいは「野手専念」をしていたら、今現在は無かった訳である。思うだにも、恐ろしい話である。大谷から、バッティング、あるいはピッチングを取り上げようとしていたのである。

 今現在アメリカでも、「投手専念」「野手専念」の議論は喧しいが、もはや、誰も大谷からバットを、あるいはボールを奪う事は出来まい。それは、大谷の黄金権である。

 話は変わるが、大谷はアメリカでショーヘイ・ショーヘイと云われているが、ショーヘイの巨人というと、反射的に馬場正平を思い出してしまうのは私だけか。私が古いのか。

 また、アメリカでは、大谷を早くも「史上最高の選手」と称える気の早い輩が登場しているが、「史上最高」かはともかく、「史上最も議論を呼んだ選手」である事は間違いないと思う。対抗馬は、思いつかない。ジョー・ディマジオとかレジー・ジャクソンとか、あとバリー・ボンズとか、そのくらいである。しかも、彼等は、どっちかというと、フィールド外での議論だったので、フィールド内での議論という意味では、大谷がダントツだろう。

 あと、大谷について、こんな後ろ向きな事を考えているのは、日本広しと言えども、私だけだと思うが、前回の記事でもちょっと触れたが、大谷が、そのまま日本のプロ野球に残っていたら、どんな数字を叩き出していたのか、ちょっと妄想してしまう。同一シーズンで100本塁打&100盗塁&4割&20勝&防御率0点台とか、やってたんだろうか。1試合5本塁打とかキャリア通算1000本塁打とか。「無くは無い」と思わせるものはある。

 さて、ようやっと長い長いマクラが終わって、いよいよ本題である。前回の数字「56」に関しては、スポーツファンなら、おおよそ察しがついていたと思うが、今回の「40239」は、ジョニー・ユナイタス・ファン以外では、まず察しがつかなかったろう。

 って、答えを言っちゃたけど、この数字「40239」は、ジョニー・ユナイタスのキャリア通算のパス獲得ヤードである。無論、これ自体は、特別偉大な数字という訳では無い。2021年7月現在では、全体22位の数字であり、シーズンを重ねるごとに、この順位は下がっていくであろう。

 私が問題にしたいのは、その22位という順位ではない。前後のメンツとの比較である。パッシングの記録というのは、この総獲得ヤードに限らず、そのほとんどは80年代以降のプレイヤーが上位を占めている。1シーズンの試合数そのものが増えているのもあるし、何より、70年代以前は、今とは比較にならない程、ラン・オリエンテッドなゲームスタイルだったからである。

 実際、同じキャリア通算記録でも、ラッシングは、60年代の選手は、さすがにジム・ブラウンぐらいであるが、70年代80年代のプレイヤーが結構上位に食い込んでいる。ウォルター・ペイトンは、獲得ヤードでもアテンプトでも、いまだに2位だしね。

 一方で、パッシングは、さすがに、80年代の選手も少なく、多くは90年代00年代のプレイヤーである。その中にあって、ジョニー・ユナイタスの22位は、あまりに異彩を放っている。他に60年代のプレイヤーというと、47003ヤードで13位のフラン・ターケントンぐらいである。しかも、ターケントンは1961年デビューなのに対し、ユナイタスは1956年デビューである。60年代つーか、50年代の選手である。なにしろ、あの1958年の「ジ・グレイテストゲーム・エバー・プレイド」の主役である。

 で、この事実について、私が何を言いたいのかというと、「ユナイタス、お前はどんだけワガママだったんだ。」って事である。絶対に、コーチやコーディネーターの言う事聞いていないでしょ。勝手にオーディブルしてたでしょ。

 結果的には、この「パス・オリエンテッド」はフットボールの歴史的には正解、少なくとも、時代を先取りしていた訳ではあるが、ユナイタスが、そこまで考えて、パスしてたとは、ちょっと考えられない。好きで、投げてたんだろう。あるいは、目立ちたくて、投げてたんだろう。

 今となってみれば、このジョニー・ユナイタスの「ワガママ」は正解だった訳であるが、ここで話を大谷に戻すと、大谷の二刀流宣言も日米双方で「ワガママ」と叩かれた。また、そもそもベーブ・ルースが二刀流を辞めたのだって、「ワガママ」だったのかもしれない。「ピッチャーかったりー、やりたくねー。銭にもならねーし。」ぐらいの理由で、科学的な戦略的戦術的理由は無かったのかもしれない。そうして、それが、いつしか慣習になってしまったのだろう。

 その慣習が、いつしか常識になり、あまつさえ、人に強いるようにさえなる。ほとんど科学的根拠がないにもかかわらず、である。恐ろしい話である。そうして、その科学的根拠もない常識を突き崩すのは、いつの時代も「ワガママ」なのだろう。そういえば、マイケル・ジョーダンも、キャリアを通して、「ワガママ」って言われてたよね。少年よ、ワガママになれ。もっとも、大概の「ワガママ」は有害だけどな

 つー訳で、期せずして、大谷とジョニー・ユナイタスがつながった訳であるが、「1点とツーミニッツ」以来、足かけ10年近くにわたる「数字シリーズ」は、今回にて、ようやっと終了である。永きに亘って、ご清聴ありがとうございました。

 あと、パット・マカフィーが、早速、大谷に喰いついてたな。お前がオールスターゲームを観に行くのは、大谷と同じ日本人として、俺が許さん。大谷が汚れる。断固阻止する。

                                     2021/7/6(火)

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