インディアナポリス研究会コルツ部

インディアンス同好会

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2022

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打順  「いや〜暑いですね〜。」なんて言葉で始まった当稿であるが、気が付けば、年は明けて、もう3月。春の足音の聞こえてる時節である。でもまだ、全然終わりそうにない。まだ、楽々5,6回分はある。さすがに今年中には脱稿するとは思うが、気長にお付き合いくださいませ。

 でもまあ、「野球」は、どうしても長くなっちゃうんだよね。付き合い長いし。「野球」は、云わば「私の正妻」である。「法律上の妻」である。「フットボール」は、色々とエロい楽しみの多い、それ故に金のかかる「愛人」。「バスケットボール」は、さしづめ「一夜妻」。「スラムダンク」という美酒に酔っぱらって、ふらふらっと手を出しちゃった「一夜妻」。もっとも、そこには「マイケル・ジョーダン」という、飛び切りの美女がいた訳であるが、こちらは、どんなに大金を積もうとも、私の女はならず、乳首ひとつ触らせてもらえない。峰不二子みたいな女である。

 一方、「野球」は、まあまあ、それ以上は云えんよね〜〜。でも、付き合いがクソ長いから、ついつい小言が多くなる。「子供の教育費がどう。」とか「車のローンがどう。」とか「卵焼きの焼き方がどう。」とか「洗濯物のたたみ方がどう。」とか。でも、別れられない。

 ちなみに、本稿は「インディアンス同好会」にカテゴライズされている訳であるが、申す迄もなく、インディアンスの2023シーズンは閉幕しております。インターナショナルリーグ・ウェスト後期、37勝37敗の同率5位フィニッシュです。感想は、ありません。つか、そんなヒマねーーー。つか、2024シーズン開幕も、すぐそこです。なんか書こうかな。

 さて、いよいよ本題です。って、なに書いてたんだっけ。あっ、そうそう、「選手の良し悪しなんて、見りゃ分かる。スタッツなんて必要ねー。」って話ね。

 その話の続きである。

 私は、「選手の良し悪しなんて、見りゃ分かる。スタッツなんて必要ねー。」とは言ったけれども、勿論分からない場合もある。前回の記事にも書いた通り、ピッチャーやQBは分かりづらい。また、バッティングや守備も、「良い」と思って「悪かった」ことは、あまり、というか、ほぼ無いが、「悪い」と思って「良かった」事例は、いくらかある。

 例えば、筒香である。ルーキーイヤーに初めて見た時は、「厳しそうだな〜。」なんて思ったのであるが、結果的には、少なくとも、日本球界では成功した。ゴメンナサイ、筒香君。

 私は、バッティングについては「腕の使い方」を注視する。なぜなら、バッティングに腕は不要であるからだ。もしも、人間をバッティングに特化して改造するのなら、バットを腹に差し込むのが理想的であろう。

 その不要な腕をいかにうまく使うか、うまく処理するかが、バッティングという技術の第一歩目で思っている。ところが、筒香のそれは不自然なように私には感ぜられた。「もっと上手く、あるいは自然に、あるいはキレイに、腕を使わないと厳しんじゃないかなあ。」と思っていたのであるが、結果的には日本球界では成功した。本人の努力や工夫があったのだろう。ゴメンナサイ、筒香君。もっとも、現時点でも、あまり腕の使い方が上手い、あるいは自然には見えないのだけれど。

 で、ちょっと話は逸れるかもしれないが、昨年高校球界を騒がせた佐々木麟太郎君も、私の目には厳しく見えた。昨夏の甲子園で、じっくり拝見させてもらったのであるが、あれだけピッチャーに背番号が見えちゃうのは、厳しいと思う。スタンフォード大学入りした訳であるが(ラックの後輩!!!。引退早いかもよ。)、どうなる事やら。

 で、さらに話は逸れる。その佐々木君見たさという訳でもないが、この夏2023年の甲子園を、私は結構見た。じっくりという訳でもないけど、そこそこ見たのは20年ぶりくらいかも。ダルビッシュは、そこそこ見たかな。ハンカチ王子は全然見てない。

 私の甲子園への関心はその程度なのであるが、久々に見て、まず思ったのは、「何故に、1回戦ごとの抽選を無くしてしまったのか。」という事である。あれ、無くすなよ、バカ。「このスリリングなのが、ワイ好みや。」って、岩鬼も言ってたろうが。

 まあ勿論、「試合消化」を円滑に進める為なんだろうけどさ。トーナメント戦で、こんな悠長なことやってんのは、これだけなんだから(多分)、きっちり保存しろっつの。復活を激しく希望。

 あとまあ、やっぱり思うのは、準々決勝以降は、やっぱり3連戦にすべきだよね。この真夏の3連戦が様々なドラマを生んできた訳だから。例えば、PL対池田とか横浜対PLなんつう伝説的なゲームも、あれが、それぞれ準決勝、準々決勝で対戦したから、あのようなドラマが生まれた訳であって、これが仮に初戦で対決していたら、池田と横浜は、それぞれ楽勝していた事だろう。水野と松坂がベストコンディションで登板できたからだ。いや、「ベスト」でないにしても、「疲れて」はいなかったろう。それぞれ、楽々完封か、それに近いピッティングが出来たと思う。

 江川やダルビッシュのような大会ナンバー1ピッチャーがそのまま優勝できないという恨みはあるだろうけれども、甲子園特有のドラマを生み出してきた要因はのひとつは、この最後の3連戦という強行、というか凶行、というかバカ日程にあったと思う。実際、先の2戦のような、所謂「伝説のゲーム」は、この3連戦に多い。

 最近の高校野球で、優勝候補がそのまま優勝してしまうケースの多いのは、昨今のユルユル、というか常識的な日程も、その一因だと思う。

 と、こんな事を書くと、「高校生ピッチャーの肩肘が、」って言いだすバカが大量にいるけれども、この3連戦を消化するのは、全国でひと夏に二人だけだっつうの。この二人だけが、地方予選の3連戦も含めて、7月と8月に、それぞれ3連戦を一度づつ投げる訳だけど、確かに、疲労ちゃあ疲労だし、負荷もかかっているけれど、この2回だけだよ。これを毎週毎週3か月くらいやってりゃ問題だと思うが、って大学野球は、それに近い事をやってるけど、7月と8月の2週間に5,6試合、で、最後に3連投づつが、そこまで負担になるとも思えない。実際、これが明らかな原因でケガしたって人は聞いたことないし、そもそも3連投目、すなわち決勝戦なんて、疲労困憊で、ケガするほどの力で投げられないのが通例である。まあ、だからこそドラマが生まれる訳だけど。

 しかも、たった二人だよ。全国でたったの二人。そのほかのピッチャー、というか半数のピッチャーは1試合しか投げないのが、日本の高校野球である。むしろ、試合少なすぎ。アメリカの高校生の方が、よっぽど投げているだろう。まあ、もっとも「夏に1試合しか投げないピッチャー」なんて、プロも社会人も大学もお呼びじゃないから、意味のない証明ではあるけれど。

 つかまあ、そんなに「ケガケガ」いうのなら、日程を変えればいいのである。要するに「週末開催」にすればよいのである。高々50チーム程度のトーナメント戦なんて、週末開催のみでも、一ヵ月程度で消化できる筈である。

 まず、50チームを32チームに減らすという事は、すなわち18チームを減らす必要があるので、18試合消化すれば良い事になる。1日4試合消化するとして、4日と2試合、すなわち5日である。
 次は16試合なので、4日。次は8試合なので、2日。次は4試合なので、1日。次は2試合なので、1日。次は1試合なので、1日。計6週で終了である。7月の最終週あたりからスタートすれば、8月末には無事終了するであろう。丸々夏休みで消化できる。もっとも、地方予選は5月6月にずれ込むが、週末開催だから、学業に大きな影響はない。決勝戦まで勝ち進んだとしても、学校を休むのは1日2日程度である。

 この日程なら、各チームのエースは週に一度投げればよいだけになる。登板間隔は、不平等になる場合もあるが、そこは調整すればよいであろう。両チームのエースが万全の状態で投げあえるのだから、「お互いの力を出し切る」になる筈である。
 しかも、福産物として、タイガースが、週末以外で甲子園開催が出来る、すなわち「死のロード」から解放されるのである。現行の「皆様のご批判を受けて、配慮しました〜」的な日程よりは、はるかにマシだと思う。もっとも、私は、先に申した通り、かつての「2週間凶悪日程」派だけどね。ピッチャーの肩肘より、ドラマが見たいんだよ〜〜〜。

 閑話休題。

 佐々木君のバッティングから、思わぬ(?)ところに話が逸れたが、「選手の良し悪しなんて、見りゃ分かる。」的な事を書いてきて、ふと思ったのであるが、「もしかして、分からない人もいるのかも」。

 一昨年、すなわち2022シーズンのセントラルリーグのショートの「ゴールデングラブ賞」はヤクルトの長岡が受賞したが、これには私はビックリした。長岡はバットでレギュラーを獲った選手だと思っていたからである。お世辞にも守備の上手い選手ではない。そもそも、ナチュラルポジションはサードだと思う。

 「該当者なし」も26票あるが、それでも、有効投票総数292票中191票集めての受賞である。2022シーズンのセントラルリーグのショートはライバル不在だったって事もあるけれども、にしても、である。「上手い」選手がいなければ、「該当者なし」にすべきであろう。それが権威というものである。見識というものである。実際、「沢村賞」は「該当者なし」のシーズンもある。

 「ゴールデングラブ賞」は毎年のように物議を醸すが、スポーツ記者連中は守備の良し悪しの区別がつかないのであろうか。「ゴールデングラブ賞」も、「沢村賞」同様、受賞経験者が選ぶべきだと思う。

 こういう仕事で年がら年中、そうして5年以上も野球を見ているスポーツ記者連中が「選手の良し悪し」が分からないのである。それも平均点レベルの微妙なところではなく、「ゴールデングラブ賞」のような、あからさまに「上手い」選手すら見分けがつかないというのなら、そりゃ、数字頼みになるであろう。数字の高下はバカでも分かるからだ。これ、大事なところなので、メモっといて下さい。数字の高下はバカでも分かるからだ。大事なことなので、二度言いました。

 実際、こういうスポーツ記者のようなプロのみならず、最近はインターネットの力で、私も含めて、素人でも「選手紹介」や「スカウティングレポート」みたいな事を公表するようになった。で、それらの多くは数字の羅列で終了である。それこそ、セイバーメトリクスの提供するOPS等々の数字の羅列で事足れりである。

 でも、私には、それでは選手の特徴が全然分からん。何回か前の記事にも書いた通り、同じ「打率3割」でも中身はそれぞれ異なるからだ。
 んな事より、「速球に強い」とか「初球は振らない」とか「選球眼がいい」とか「高めに強い」とか「見逃し方がいい」とか、そういう情報が欲しいのである。あと、ワイドレシーバーは「ルートランニングの巧拙」。これ超重要。つか、これしか要らない。

 まあまあ、そんなバラード症候群はともかくとして、そういう情報が選手を測るには、非常に重要なのである。前年度の成績とか、ましてやアマチュア時代の成績なんて、どうだって良いのである。だって、プロ野球なんだから。

 例えば、右バッターで最も重要な情報は何かといえば、それは申す迄もなく、「外に逃げる球への対応」だろう。これが、「打てる」のか、「見逃せる」のか、はたまた「空振りしてしまう」のか、これが右バッターを測る第一歩目である。多くの「スカウティングレポート」や「選手紹介」には、これが欠けている。そうして、数字の羅列、スタッツの羅列である。それも意味のある数字なら良いけど、大概は、OPSや打率のような、「どうとでも取れる」数字である。何も分からん。

 その頂点は、「高校通算○○○ホーマー」であろう。こんなの、今更批判するのも馬鹿馬鹿しいほど、無意味かつ無価値な数字である。これに関しては、清原の言葉を引用しておけば十分であろう。

 曰く「高校通算○○○ホーマーなんて、何の意味もない。高校野球レベルだと、練習試合や予選では、訳の分からんピッチャーが山ほどいるからだ。そんなピッチャーから打っても、何の自慢にもならん。何の参考にもならん。自慢や参考になるのは、甲子園で何本打ったかだ。予選だったら、決勝、準決勝レベルまでだ。」。

 同じ事は、ピッチャーにも云える。ピッチャー、それも即戦力といわれるピッチャーで最も重要なことは、「変化球でストライクが取れる」である。これが出来ないと話にならん。

 でも、そういう事は多くの「スカウティングレポート」や「選手紹介」には、ぜ〜んぜん書いてない。「でも、即戦力と謳われてるピッチャーなのだから、そんな事は書くまでもないのだろう。」と解して、実際見てみると、「変化球でストライクが取れない」。そんな事例、山ほど見てきた。

 で、代わりに書いてあるのは、お得意の「最高球速○○キロ」である。そんなの158キロでも157キロでも、どっちでもいいよね。せいぜい、「速い」「普通」「遅い」が分かってれば十分である。欽ドンである。

 でも、ピッチャーについて書く場合、いろんな意味で最もチョロいのが「球速」なのである。「最高球速○○キロ」なのである。数字の高下はバカでも分かる。

 この何でも数字で表すブームは、数字にしにくいと言われていた「守備」にまで及ぶ。いちいち事例を挙げるのもメンドクサイので省略するけど、セイバーメトリクサーの提示するなんやらかんやらである。

 でも、あんなの信用できねーよ。だって、そのデータの元、大元になる「エラー」や「守備機会」自体が恣意的なものなのだから。

 「エラー」が記録員の気持ちひとつなんていうのは有名な話、というか至極当然な話であるし、それに代わって、彼らの提唱する「守備機会」だって、怪しいものである。だって、そんなのは色々な事に影響を受けるからだ。

 ピッチャーのピッチングスタイルに影響を受けやすいのは有名な話だけど、そのほか、周りの選手の能力にも影響を受けるであろう。

 例えば、元ヤクルト、ジャイアンツ等々のラミレスが自身のバッティング理論について長々長々くだくだくだくだくだくだ話した後、オマケ感覚で守備について問われたら、曰く「僕の守備理論はたったひとつだね。それも日本語。『どうぞ、どうぞ』。これだけ。超簡単でしょ。『イイダサン、どうぞどうぞ』『ミヤモトサン、どうぞどうぞ』。」。宮本が「練習しろ」って、怒ってたけどな。

 こんなのが周りにいたら、「守備機会」は増えるよね。

 また、守備の上手い選手が隣にいたからといって、「守備機会」が減るとは限らない。

 長嶋茂雄はサード周辺にフライが上がると、「クロちゃん、クロちゃん」。さすがに黒江は激怒したらしいけど、そうしたら茂雄曰く「いや、フライはイライラすんだよね。クロちゃん、頼むよ。メシ奢るからさ。」。こういう「守備機会」の増え方もある。非常に稀ではあるが。

 また、セカンド、ショートは、単純な捕ったり投げたりの他に、外野からの中継プレーやランナー・セカンドでの牽制プレイなどもある。これらは、失点に直結するだけに、単純な捕ったり投げたり以上に重要なプレイである。

 また、外野手も、単純な捕ったり投げたりの他に、重要なプレイはある。

 かつて、小川淳司が、試合前に野村監督に褒められたという。しかも、前日の試合で活躍していないにもかかわらず、である。曰く「お前、昨日のプレイ良かったぞ。あのレフト線のボールの追い方。あれは上手い奴の追い方だ。」。

 まあ、野村は、所謂「無視・称賛・非難」の人なので、小川のような1軍半の選手は、基本的に「褒める」ので、この言葉は、そのまま鵜呑みにはできないけれど、レフト線、ライト線でのボールの追い方に、「上手い下手」があるのは事実であろう。

 これは、運動能力や技術というよりは、「状況判断」の求められるプレイである。ランナーやバッタランナーの動き、点差、イニング、ボールの転がり方、フェンスとの距離等々を総合的に判断すべきプレイである。

 ちなみに、新庄は、この手のプレイは、日本ハム時代はあまり見ていないので分からないが、阪神時代はホントにへたっぴだった。しょっちゅうクッションボールを誤ってた。判断ミスも多かったしね。今、日本ハムの監督として、何を教えているのだろう。

 というような事が、「野球」には色々あるのであるが、セイバーメトリクサーの皆さんは、それらを数字に換えて、計算しているのでしょう。でなきゃ、あれほど自信マンマンにはなれないよね。あげたマンみたいにさ。


 復帰一発目だし(って程、大袈裟なものでもないけど、)、今回はこの辺で、アップします。次回以降は、2週に1度くらいのアップを目指しま〜す。

                                           2024/2/25(日)

【悲報】大谷結婚。

 いや〜、まさに【悲報】でしたね〜。この一報の流れた瞬間、日本中と、アメリカと韓国と台湾の一部から「ギャー。」って云う悲鳴が聞こえましたよ。なんなら、俺もちょっと悲しかったですよ、悔しかったですよ。「なんで、ボクでないの〜。」。

 いや、大谷と結婚できるなら、性転換ぐらいするよね〜。楽勝だよね〜。だって、あんな「花も実もある男」は、なかなかいないよ。それも、とびきりの「花と実」。

 美男子という意味なら、それこそ田村正和とか郷ひろみとか、色々いるだろうけど、彼らは、所詮「芸能人」だからね〜。「実」はない。まあ、歌とか芝居も「実」ちゃあ「実」だけど、あくまで「花」前提の「実」だからね。「花も実もある」ってのとは、ちょっと違う。「花」がそのまま「実」、「実」がそのまま「花」みたいな世界の人たちである。

 野球選手で美男子というと、荒木がパッと思いつくが、「実」って程でもないからな。「5季連続甲子園出場」っていうのは、素晴らしい「実」だけど、プロ野球選手、あるいは野球選手としては、それ程の「実」ではない。

 長嶋も、「実」は勿論素晴らしい「実」だけども、「花」って程じゃないしな〜。まあ、ハンサム、美男子の部類だろうけど。女の子がキャーキャー云うようなルックスではない。

 大谷クラスの「花も実もある男」といったら、あとはもう源義経くらいしか思いつかん。じゃあ、大谷の嫁は、さしずめ静御前か。

 沖田総司は、「実」って程じゃないしな〜。

 でも、大谷には、テイラー・スウィフトと結婚して欲しかったよな。そうして、チーフスを弱体化させて欲しかったぜ。あと、松井秀喜は、マドンナと結婚して欲しかった。

 今、「性転換」について触れたので、それについて少し。

 ガンとか脳卒中とか、所謂「成人病」を始め、世の中には色々様々な病気があり、多くの知性と資金が投入され、全世界で盛んに研究されているけれども、「性転換」についても、もうちっと研究を進めても良いと思う。知性と資金を投入しても良いと思う。

 こういった所謂「成人病」を治癒するのも、まあまあ結構なことであるけれども、それらの多くは50歳過ぎてからの病気である。正直、今更、完治しても、50歳で死ぬか80歳で死ぬかの違いでしかない。まあ、その30年は大きいかもしれないけれど、所詮「老年」の30年間である。人生の内容に大きな差が出るとは思わない。生涯収入とかに差が出て、遺族、あるいは家族にとっては大きいかもしれないけどさ。

 一方で、「性転換」というのは、それに苦しむ人は非常に少数かもしれないけれど、20代、あるいは10代で、「性転換」に成功すれば、人生が根本的に変わるのである。それこそ、「クオリティ・オブ・ライフ」という意味では、「成人病」の治癒より、はるかに大きな効果があるだろう。もうちっと、知性と資金を投入しても良いと思うけどね。なんか、現状、保険も聞かないらしいし、「イロモノ」扱いされてるけれどさ。

 あと、「美容整形」ね。これも、あらゆる意味で、誰もが「幸福」になる「治療」だと思うのだけど、こちらも研究は進んでいない。保険も聞かないらしいし、「イロモノ」扱い。

 そもそも、人間なんて、生まれついて色々様々な不自由の中で暮らしており、それを少しづつ改善克服してきたのが、人間の歴史、人間の文明の歴史なのだから、「性別」や「美醜」からも、もうそろそろ自由になっても良いんじゃないの。

 朝起きて、その日の気分で、男になれたり、女になれたり、ブスになれたり、美人になれたり、ブ男になれたり、ハンサムになれたりしたら、面白いんじゃないの。あと、第3の性とかもね。あと、イヌとか鳥とか魚とか。

 あと、「人体改造」の研究も、もちっと進めてもらいたい。私は、単純に腕の数を増やしたい。正直、2本じゃ足りないんだよね。アシュラマンみたいに「6本」欲しい。そうすれば、寝転がって、本を読みながら、ポテトチップスを食べつつ、コーラを飲むなんて芸当も可能になる。2本だと、いちいち本を置かねばならぬ。

 また、「翼」に関しては、これは誰もが望む「人体改造」であろう。これがあれば、いろんな問題が一気に解決するよね。劇的に解決するよね。

 「医学」の研究というと、どうしても「不老不死」の方向に行きがちだけど、「不老」はともかくとして、「不死」は、そんなに望まれていないよね。少なくとも、私は望まない。それより、生活の質や人生の質を向上させる「医学」を望む。


 話は変わって、大きく変わって「記憶喪失」。


 人間、長年生きていると、色々様々な不幸に遭遇する。事故とか病気とかである。

 それが自身に起きなくても、家族や知人、知人の知人が遭遇してたりする。例えば、自身が交通事故にあわなくても、家族が交通事故にあったり、自身がガンを患わなくても、知人の知人にガン患者がいたり、とかである。

 また、事故や病気とは、ちょっと種類は異なるが、そうした不幸のひとつに犯罪がある。

 さすがに、自身が犯罪者って人は、そんなにいないかもしれないが、家族や知人、知人の知人が犯罪者や犯罪被害者って人は、それなりにいるであろう。

 実際、私の知人は空き巣被害にあったし、私の母の昔勤めていた会社の同僚の父親は贋金つくりをしていたと私の母は語っていた。その家には、秘密の地下室があって、輪転機がグルングルン回転していたらしい。それが発覚すると、社内は騒然としたって話である。そりゃそうだ。

 また、私の近所の人は殺人事件に巻き込まれていたし、知人の知人が殺されたって話も聞いたことがある。そう云えば、これは犯罪ではないけれど、私の中学校でも、自殺未遂騒動があって、テレビ局が来た。

 この手の不幸というのは、自分自身に起こる確率は低いかもしれないが、見聞の範囲を広めてみる、すなわち分母を増やしてみると、それなりにいるものである。

 ただ、この手の不幸の中で、私の人生ン十年の中で、いまだに聞いた事がない、無論、自分自身にも起きたことがない、なんなら、テレビ、新聞、雑誌でも、見たり読んだりしたことのない不幸、それが「記憶喪失」である。

 アレって、いるの。ニュース報道では、ただの一度も聞いたり読んだりした事は無いけれども、フィクションの世界、すなわち漫画やドラマではお馴染みの、ド定番ネタ、追い詰められた漫画家がついつい採用してしまう、こっ恥ずかしいネタの代表格、「記憶喪失」。アレって、ホントにいるの。実在するの。私の身の周り、そうして私の身の周りの周りでは聞いた事がない。「僕、事故で記憶を無くしてしまったんですよ。僕の名前は何ですか。僕って誰。」のアレである。

 アレって、ホントに実在するの。もしかして、追い詰められたマンガ家や脚本家の妄想なの。オカルトなの。老い先短い私であるが、「記憶喪失」には遭遇したいものである。なんなら、私が「記憶喪失」になってもいいし。

 また、「記憶喪失」とは、ちょっと異なるが、似たようなものとして、「意識が飛ぶ」というのは、これは私にもあるし、多くの人にあるだろう。そもそも、眠っている時は「意識が飛んでる」訳だし、「酔っぱらって」なども定番であろう。また、プロレスラーの、「ラリアットの後、意識完全に飛んだ。あとは無意識で戦ってたよ。全然覚えてない。」なんてのも、定番インタビューである。

 また、事故や病気で「意識が飛ぶ」人もいるであろう。「気が付いたら、ベットの上」って奴である。

 この「意識が飛ぶ」」期間も色々あって、1日2日あたりはベタだけど、場合によっては1週間10日もあるらしい。で、私の知る最長記録は、なんと2年。脳梗塞かなんかで倒れて、目が覚めたら、2年経過していたらしい。2歳年を取ってたらしい。ま、ネット情報なので、真偽のほどは定かではないが。

 まあでも、これ2年くらいだったら許容範囲(でもないか。)、病気療養期間と思えば諦めもつくだろうが、これ、15歳で気を失って、目が覚めると、83歳だったら、ヤバいよね。いや、「ヤバい」じゃ済まんよね。「ヤバい」どころの話じゃねーーー。

 医師が、「いや〜、あなたのご両親は本当に立派な人でした。ご自身の人生をすべて、あなたの延命治療費の捻出に捧げ、莫大な遺産を残して、死んでいったのです。ご両親のご苦労が、今ここに報われました。」。

 いや、全然報われてねーーー。いや、諦めろよ。ってか、気づけよ。30歳ぐらいのときに。いや、せめて50歳ぐらいの時に気づいてくれ。「もう目覚めても意味ねーなー」って。そうして、諦めてくれ。

 俺、これからどうすんの。ここから、受験、恋愛、就職、結婚、出産、子育てとかすんの。いやまあ、人生100年時代だから、間に合うちゃあ間に合うかもしれんけど。ギリ間に合うかもしれんけど。いや、間に合わんわ。もう勃起しねーわ。 

 これ。ヤだよね。親と現代医学を恨むよね。憎むよね。いわば、一種の浦島太郎状態なんだけど、こっちの浦島は竜宮抜きだからね。カツのないカツサンドみたいなもんだからね。ハンバーグのないハンバーガーみたいなもんだからね。

 竜宮城で飲めや歌えやができるなら、浦島もアリというか、むしろカモンカモンだけど。年をとる、人生を失うぐらいで、酒池肉林が手に入るなら、むしろカモンカモンだけど。さすがに、竜宮抜きはきついわ。キッツイわあ。

 と、こんな事を書いていると、自身がそんな目に逢ってしまうかもしれないけど、今の年齢なら、別にいいや。いきなり83歳でも別にいいや。むしろ、ちょっと面白いかも。つか、いきなり年金支給年齢に飛びたい。これはあり。むしろ望む。

 さて、本題に入ろう。

 って、その前に、前回の記事の補足。

 前回の記事で、高校球児の3連投について触れたけれども、あれは、あくまで、最も少なくて3連投であって、確率50%で4連投。最悪は、1週間で5回登板である。

 つまり、3連投の前、ベスト16の8試合中後半の4試合に当たってしまうと、そこから4連投になってしまう。さらにはその前のベスト32(変な言い方)も、その最終日あるいはその前の日に試合が組まれていたりすると、1週間で5登板という鬼日程になってしまう。

 ダイジョーブダイジョーブ、スタンカは日本シリーズで2試合連続完封してっから。しかも、試合ではなく、本当に2日連続。しかも、第1戦も完封、第3戦は先発するも敗戦投手。都合10日間で4試合先発3完封してっから。ダイジョーブダイジョーブ。

 大谷が先発した翌日、バッティングで活躍すると、元ピッチャー達が、口々に「先発した翌日は、体ガッチガッチやで〜。あんなの信じられない。」みたいな事を、よく言うけれど、このスタンカの登板模様は、どう説明すんのかねえ〜。しかも、その後、スタンカが怪我したって話は聞かない。短期間に登板や投球数が集中しても、それがケガの要因にはならないって事に、いい加減、気付いてくれっつの。「短期間に登板や投球数が集中すると、それがケガの要因になる」という主張に相反する事例が多過ぎる。

 いよいよ本題、つか、これも本題じゃなくて、あくまで枕なんだけどさ。それはともかく、前回の記事では、「セイバーメトリクスの数値のあやふやさ」みたいな事を書いたのだけれども、そもそも、セイバーメトリクスに限らず、人間の数値認識能力自体が、あやふやなのである。

 前回、私は「数字の高下はバカでも分かる」と書いたけれども、その数字というのは、あくまで単純な数字に限っての事である。「8と3はどっちが多い」とか「53と12、どっちが多い」とかである。

 こういう単純な数字の比較、四則演算でも、足し算引き算くらいだったら、「バカでも分かる」(それも、危なっかしい人はいるけれど、)が、掛け算割り算になると、いきなり怪しくなる。

 例えば、以下のような数列、

 1,2,3,4,5,6,…

 なら、誰もが等差1の数列である事は認識できるであろう。そうして、6の次は7、7の次は8と予測するであろう。

 ところが、これを割り算、すなわち分数にすると、いきなり怪しくなる。

 1、1/2、1/3、1/4、1/5、1/6、…

 パッと見、前者と似たような数列であるが、内実はずいぶん異なる。

 まず、差は等しくない。それぞれの差は、

 1/2、1/6、1/12、1/20、1/30、…

 この数列を見て、パッと先の数列が思いつく人は、相当数学に慣れた人か、数学的センスに富んだ人であろう。

 そうして、「1,2,3,4,5,6,…」という数列の項の合計が発散していくのに対し、「1、1/2、1/3、1/4、1/5、1/6、…」という数列の項の合計は収束していく。

 割り算というのは、このように普通の人には理解しにくい直観しにくい計算、数値なのである。

 また、掛け算にしても、事情は近しい。有名な「碁盤に米粒」の話などは、その典型であろう。

 また、この割り算と掛け算の複合技である「複利」も、普通の人には、なかなかに理解しにくい。

 例えば、1000万円を年5%の複利で10年ローンで借りたとすると、1年目、つうか1回目の返済額は元金が1000万円の1/10で100万円、利子が50万円なので、合計150万円、第2回目は100万円に利子45万円、第3回目は100万円に利子40万円、以下同様、という事になる。

 結果、10年間で、利子は50万円+45万円+40万円+…で、275万円。実に、27.5%の利率。でも、表記上は複利5%。怖いよね〜。

 複利計算の手っ取り早い方法は、1回目と最後、この場合だったら、50万と5万を足して、期間、この場合だったら、10回を、2で割って、50万と5万の合計、55万に掛ければよい。55万×5=275万。シグマ計算とか三角形の求積法と同じ。底辺×高さ÷2である。要するに、積分。

 ちなみに、昨今の住宅ローンは35年が可能らしいが、35だと計算がめんどくさいので、30、すなわち30年ローンで同様の計算をしてみよう。毎年の元本の返済額は33.3333…円だが、ここは省略して33万円とする。10万円はサービスサービス。

 1年目の利子は50万円、最終年は元本33万円の5%なので16500円。51万6500円×15(30回÷2)なので、774万7500円。利率、実に凡そ77%。ほぼ倍付け。1千万円ではなく、1774万7500円の家なのだ〜。怖いですね〜。でも。表記上は、複利5%。

 1年目の支払いは元本分50万円に33万円なので、合計83万円。100万円を切ってて、お安く感じるけれども、これが実態。実際の数。事実、まぎれもない事実。現実。

 これは、「複利5%」ではなく、「利子77%」って表記すべきだよね〜。

 まあ、勿論、「複利」というのは、返済時毎の返済金額が違う場合に使われていたものであり、それならば、有効だし、合理的であろう。

 この1000万円の借金の場合だと、1年目で400万円返済して、2年目は、経済事情が悪くなったので100万円、3年目は200万円、4年目は300万円みたいな返し方をするのであったら、それぞれの年の利率に応じて、残金に利子をつけるのが当然であるし、合理的である。「早く返せば返すほど、お得」って奴である。

 でも、先に挙げた例のように、年ごとの返済額が決まっている場合なら、全体の利率を表記すべきだと思う。まあ勿論、現行の住宅ローンだって、経済事情によって、ある程度、柔軟に返済できるだろうけどさ。また、「自分で計算しろよ。」って話でもあるけど。

 事程左様に、数学に慣れた人、数学的センスに富んだ人でなければ、割り算掛け算というのは理解しにくいものである。直観的に把握しにくいものである。

 ちなみに、先に挙げた数列「1、1/2、1/3、1/4、1/5、1/6、…」の差は、それぞれ「1/2、1/6、1/12、1/20、1/30、…」であると私は書いたけれども、「あれ、間違ってる」って、気づいた人いる?。

 あれ、正確には、「後項と前項の差」はマイナスだよね。だから、正確には「−1/2、−1/6、−1/12、−1/20、−1/30、…」となる。引っ掛けでした〜。ツッコもうと手ぐすね引いていた人、残念でした〜。ちゃんと気づいてま〜す。

 つう訳で、複利計算も間違ってるかもよ〜。そもそも、複利の理解を私は間違ってるかもよ〜。

 という訳で、数字や数学の世界、とりわけ割り算掛け算の世界というのは、普通の人、数学に慣れていない人、数学的センスに富んでいない人には理解しにくいものなのであるが、統計の世界の主役は、申す迄もなく、割り算、パーセンテージである。

 そして、それは、いとも簡単に、誤解や錯覚を生む。

 例えば、ある薬の臨床試験をしたとする。その薬を使わなかった時、あるいはプラセボ薬を投与した際の治癒率が10人に1人、その試験薬を投与した際の治癒率が10人に3人だったする。

 すると、その薬の開発者は「10%と30%、実に3倍もの効果があった」と喧伝するであろう。でも、これ分からんよね。100人だったらどうなるの、あるいは1000人だったら、10000人だったら。

 100人だと、それぞれ14人と27人になり、1000人だと168人と249人になり、10000人だと1792人と2243人という結果になるかもしれないよね。とすると、あら不思議、それぞれ17.9%と22.4%で、「ほぼ変わらない」という結果になってしまう。なんなら、誤差の範囲となってしまう。ともに20%になってしまう。

 まあ、勿論、奇麗に、ものの見事に、それぞれ、10人、30人、100人、300人、1000人、3000人になる可能性も否定できないけどさ。

 という訳で、統計学者はビッグデータの必要性を説く訳だけど、必要な分母数って、いくつなの。有効な実験数って、いくつなの。私は、それは決められないと思う。どんなに分母数を増やしても、どこまで行っても「憶測」の域を出ないと思う。社会学系の統計は無論の事、医学においても同様だと思う。この点については、また別の記事にて書きたい。

 野球に話を戻すと、有名な「2割5分のバッターを3割3分3厘のバッターにする方法」も、同様の割り算、パーセンテージのマジックである。

 これは、要するに、1試合1個ファーボールを獲る、すなわち、4打数1安打を3打数1安打1四球にすれば、あら不思議、2割5分のバッターが3割3分3厘になってしまうというものである。ヒットを打つ練習ではなく、ファーボールを奪う練習をすれば、100万ドルプレーヤーが1000万ドルプレーヤーに早変わりという訳である。

 まあ、実際のところ、ヒットを打つ練習とファーボールを奪う練習のどちらが難しいのか、どちらが効果的なのかは、私には分からない。ただ、どこかで書いたと思うが、昨今のプロ野球選手、とりわけアメリカの野球経験者は、四球を喜ぶ。積極的に獲りに行く。

 これは勿論、セイバーメトリクスの影響であろうし、かつては四球の価値が著しく過小評価されていたので、それに比せば、大きな前進だとは云える。

 ただ、あまりに極端である。昨今のアメリカの野球経験者は異常なほど四球を獲りに行く。四球の要らない場面、四球よりヒットや長打の欲しい場面ですら、四球を獲りに行き、それを獲れると、喜ぶ。接戦での終盤、二死二塁で、後ろのバッターの打力の弱い時は、四球は要らないのである。少々のボール球でも、積極的に打っていって欲しい場面である。そうして、それが仮に凡打で終わっても、監督やチームメイトは評価するであろう。それがチームプレイというものである。
 後述、それもかなり後に後述するが、5番バッターに求められるのは、そういうバッティングである。ちなみに、この稿のタイトル、および主題は「打順」です。お恥ずかしながら。

 ところが、セイバーメトリクスでは、場面によらず、「四球」を評価するし、どうかすると、実況席は「後ろにつなげるチームバッティングです。この後ろにつなげる精神が大事なんですね。」なんて、トンチンカンな事を宣ったりする。後ろにつなげるだけがチームバッティングじゃねー。時には、長打を狙う事、ボール球に手を出す事もチームバッティングなんだよ〜。

 ファーボールが個人プレイの場合もあるんだよ〜。しかも、こういう場面、「接戦での終盤、二死二塁で、後ろのバッターの打力の弱い時」なんていうのは、四球を奪うには絶好のシチュエーションである。OPSの稼ぎ時といっても良いくらいである。で、実際、四球を奪って喜んでいるアメリカ野球経験者は、非常に多い。最近は日本人にも多いかな。恐るべき哉、セイバーメトリクス。野球から、どんどんチームプレイを奪っていく。

 また、同じく打率の話になるが、2割5分と3割の違いというのは、結局のところ、5%の違いでしかない。

 ところが、われわれの日常生活においては、「5%」なんて、ほとんど実感しない。

 例えば、或るおもちゃ屋で、なかなか売れない商品があったとする。

 それに業を煮やした店長が、売り場主任に、

 「もう、これはダメだ。安くしておいて。」

 と命じて、別の仕事をして、現場に戻ってきて、その商品の値札を見たら。「5%引き」。

 「てめえ、こりゃあ、5%なんて、値引きのうちにはいるかい。せめて20%、あるいは30%。なんなら、50%でもいいわーい。」となるだろう。で、現場主任はタンコブ必至。

 また、スーパーマーケットなどでの、弁当や総菜の値引きシールにも「5%引き」なんてのは無い(いや、あるの?)。

 また、1メートルの棒が必要な時に、人に命じて、取って来させた時(どんな時?)、それが95センチでも105センチでも、怒る人はいないだろう。1メートル20センチなら、「長すぎるわ」ってツッコむかもしれんけど。

 そういう訳で、われわれの日常生活で「5%」を意識することは、まず無い。誤差の範囲である。四捨五入されてしまう数値である。

 先に挙げた「複利5%」だって、すごく少なく感じるものであろう。お安く感じるものであろう。「5%ぐらいなら、いっか。」である。でも実質は77%。実態は77%。「値引きシール」なら、血で血を洗う闘争の起こるパーセンテージである。

 あっ、そうそう「5%」、つうか「5%以下」をグダグダ云う世界があったわ。野球のバットである。彼らは、34インチのバットを34.5インチにするかで悩んでたりする。

 まあ、そういう職人的な世界では、「5%」は「誤差」にならないのかもしれないけど、我々の通常の生活では、「5%」は「誤差」であるといっていいと思う。そういえば、昔の職場に、なんでも「誤差誤差」云う先輩いたなあ。30%ぐらいでも、「誤差誤差」云うてたもんなあ。それもう、「誤差」じゃねえっつの。

 では、野球の世界における「5%」、すなわち2割5分と3割は「誤差」と云えるのか。まあ、この辺は意見の分かれるところかもしれないけれど、私は「誤差」だと思う。100打数25安打か100打数30安打の違いでしかないんだよ。野球というのは、1試合単位で結果の出るものなのだから、4打数換算だと、4打数1安打か4打数1.2安打の違いでしかない。5試合やって、ようやく1安打違いの出るものでしかない。すなわち、20打数5安打か20打数6安打かである。先に書いたように、それこそ四球ひとつで、その差は埋まってしまう。

 まあ、勿論、キャリア20年なら、その5%の差は大きいといえよう。名球会入りを分ける差になるかもしれない。でも、生涯打率というものは、不思議なもので、良い選手も悪い選手、すなわち打つ選手も打たない選手も、最終的には2割8分前後に収束してしまう。それだけ、偶然に左右されやすいものだという事であろう。

 先に挙げた「四球」というのが、最も過小評価されていたスタッツであるならば、「打率」は最も過大評価されてきたスタッツといっても良いであろう。

 これが「ホームラン」なら、話は異なる。シーズン換算だと、打たない選手は5本くらい、打つ選手は40本50本、これは明らかに異なる。「誤差」とは言えないであろう。

 こういうものを明らかにする、白日の下に晒したのがセイバーメトリクスの功績であり、それを私は否定しないし、あと、こんなことは今更言っても埒のあかない事であるが、そんな事はセイバーメトリクス登場以前から、私は予感してた。また、多くの野球関係者も予感していた事であろう。

 そうして、そのセイバーメトリクス登場以降、「ホームランと四球と三振が野球のすべてだ」みたいなことを言い出すバカが、ホントに増えた。なぜなら、「数字の高下はバカでも分かる」からだ。そうして、統計学の性質上、その主役は、今ここに書いてきたように「分数」である。数学的センスのない人には、なかなかに理解しにくい「分数」である。

 例えば、セイバーメトリクスご自慢のOPS。これは、同じ0.800でも、ホームランの多い0.800もあるし、ヒットの多い0.800もあるし、四球の多い0.800もあるだろう。でも、表記上は、みな同じ0.800。この数字だけでは、私は違いが分からない。そんなもん、書きゃいいんだよ。512打数125安打24ホームラン54四球(「0.800」に合わせてないので、計算しないよーに。テキトーな数値です。)。これの方がはるかに分かり易い。少なくとも、より正確に分かる。

 打率だって、同様である。10打数3安打も10000打数3000安打も、同じ打率3割である。でも内実は異なるであろう。OPS同様、色々な「打率3割」があろう。。また、10打数3安打でキャリアをスタートしても、そのまま10000打数3000安打出来るかと云ったら、誰も分からない。だが、これらも、み〜んな、同じ「打率3割」である。

 高校通算○○ホーマーも同様である。仮に、高校通算100ホームランだとしたって、300打席で打ったのか10000打席で打ったのかでは、まるで中身が異なる。300打席で打ったというのなら、何が何でも欲しいけど、10000打席なら、絶対イラネー。でも、マスコミは、同じく「高校通算100ホーマー」と表記する。正確に書けっつの。

 そういうあやふやな数字を基に、スカウティングしてっから、FAやドラフトで、セイバーメトリクス登場以前と同じように、失敗してんだっつの。

 そうして、セイバーメトリクスのもう一つの問題点は、打率あるいは出塁率の反対側を全然考慮換算してないって事である。

 よく言われているように、野球というスポーツは、出塁率や打率の反対側が重要とされている。そりゃそうだよね、そっちの方が数多いんだから、6割から7割は打てない、あるいは出塁できないというのが、野球というスポーツの特性である。その6割7割で何をするか、どれだけ有効活用できるかが、野球というスポーツの勝敗の分かれ目である。

 ところが、セイバーメトリクスはそれを全く数値化ででいない。考慮していない。進塁打ひとつカウントされていない。しかも、実際の野球というのは、進塁打よりさらに細かいプレイの連続で成立しているものである。「江夏の21球」ひとつ読むだけで、それは明らかである。

 いや、それともしてんの。少なくとも、私はそれを知らないし、少なくとも、現行のメジャーリーグの野球には、それを感ぜられない。セイバーメトリクスの内実同様。現行のメジャーリーグの内実もスカスカである。


 とりあえず、今回はこれくらいにしとくか。ちなみに次回は、「お金」、次は「抽象」、その次は「数」、で、それから、ようやっと「打順」です。いつになったら、終わる事やら。


 最後に、こちらの正真正銘の【悲報】についても触れておくか。

 さようなら、鳥山明。そうして、ありがとうございました。私は、ドラゴンボールにもドラゴンクエストにも熱中しなかったクチだけど、アラレちゃん無しには、私の少年時代は考えられません。私の少年期の幸福の数パーセントはアラレちゃんによるものでした。

 鳥山明については、次回のマクラで書こうと思います。鳥山明先生と書くのは、ちと恥ずかしい。

                                    2024/3/10(日)

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