インディアナポリス研究会コルツ部

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2022年
4月
ドラフト展望  「俺オールプロ」の記事を書こうと、モタモタしていたら、ドラフトが目前に迫ってしまった。「ドラフト展望」を、まさか「ドラフト後」に書くわけにもいかないので、ここに書きます。

 でも、なんつーか、最近やたら眠いんだよね。週末になると、「今週末は寝よう寝よう」と思って、本当にその通り寝て、翌週になると、また「今週末は寝よう寝よう」を、ここ半年くらい繰り返している。老化か。老化なのか。年を取ると、あまり眠らなくなるんじゃねーのか。若返ってんのか。まさかの若返りか。幼児化か。セト神か。アレッシーの影を踏んだのか。

 そんな私の肉体の秘密はともかく、ドラフトである。

 まず、初めに、あらかじめ断っておくが、今回のドラフトに臨む私の気持ちは、過去最低レベルで低い。あんまり勉強もしていない。ドラフトガイド誌をパラパラしたくらいである。

 だって、ファーストピックが42位なんですもの。上がりよーがねー。

 例年だと、各ポジションごとの要不要なんかを書いたりしているのであるが、今回は書かねー。テンションダダ下がりつうのもあるが、ニーズが2つしかないからである。エッジラッシャー、つかプレミアパスラッシャーと、ワイドレシーバー、つかエースレシーバーの2つである。

 うち前者は、42位では無理。まったくもって不可能って訳では無いだろうけれども、エッジラッシャーっていうのは、だいたいドラフト時の評価がそのままプロ入り後の評価になるポジション、もしかしたら、その点では、ドラフト時の評価に最も狂いの無いポジションなので、プレミアパスラッシャーは確実に上位で消える。それも10位以内で消える。
 よほど、ニーズが偏り、各チームの思惑が乱れた年でも、1巡下位には残らねー。せいぜい15位。42位なんて、ぜって―無理。ここで、プレミアパスラッシャーを入手出来たら、幸甚というべきであろう。それこそ、10年に一度くらいの幸甚。

 一方、エースレシーバーに関しては、1巡どころか下位にもいる。かつてのウェス・ウェルカーとか、最近だったら、カップ三冠である。

 つう訳で、42位でのエースレシーバーは十分入手可能なのであるが、まず無理、もしかしたら絶対無理。現コルツフロント陣首脳陣にレシーバーを見る目がまるで無いのだもの。それがあったら、もうとっくに入手してるっつの。スーパーボウル出場してるっつの。

 ポリアンの時は、WRをまぐれで外す不安があったが、現フロント陣では、まぐれで当てるのを期待するしかない。

 あと、まさかとは思うが、現コルツ首脳陣コーチ陣が現コルツレシーバー陣に満足しているという、想うだにも恐ろしい説がある。
 実際、そういう記事がNFL公式ページにアップされてた。マスコミ向けのリップサービスだとは思うが、本当にそう思っているという節も無い。なぜなら、ここ数年のWRのFA・トレードに全然色気を出さないからである。今オフだって、フリオとかアマリ・クーパーとかサミー・ワトキンスとかロバート・ウッズとかに全然色気を示さない。まあ、フリオはドラフト後に手を出すかもしれんけどさ。

 つう訳で、42位でレシーバーを指名しないという可能性もなくは無いが、今ドラフト・プロスペクトの中で、私が興味を持った、このへんの順位で獲れそうなレシーバーはというと、ジョン・ミッチー3世である。

 先にも書いた通り、今ドラフトはあんまり勉強していないのであるが、ドラフトガイド誌をパラパラした限りでは、良さげなのは、このミッチー3世である。ケガ歴が気にならん事もないが、ここは目をつむりましょう。42位だしね。多少のギャンブルはしないと。第2レシーバーの器という説もあるけど、多少のギャンブルはしないと。42位だしね。

 でも、コルツ首脳陣は指名しねー。だって、身長が5−11しかないから。あいつら、6−2くらいないと指名しないからねー。ボールを捕るのは身長だと思っているよねー。でも、私はミッチー・ラブ。思いっきり細いネタ、いったー。

 あとまあ、レシーバーではないが、パスオフェンスの改善という意味では、タイトエンドの指名も無くは無い。ドイルも引退しちゃったし。しかも、今年のタイトエンドのトッププロスペクトは2巡予想である。それも結構な数がいるのであるが、レシービング特化型だと、アイザイア・ライクリーあたり。バランス型だとトレイ・マクブライド。名前特化型ならワイダーマイヤー。

 まあ、でも、昨年、グレンソンを指名しているし、42位でも指名はないかな。このへんの2巡候補も、展開次第では3日目で指名出来そうだし。42位を使う必要は無いと思う。つか、TEは3日目で当てたい。目指せ、ジョージ・キトル。

 んな感じかなあ。とか言ってて、「グローインスキーの後釜が、」とか言って、42位でガードを指名したら、マジ殺す。私が直々に殺す。

 そのほか、コルツドラフト以外だと、やっぱ注目は、カイル・ハミルトンかな。セイフティなのに全体1位候補つうのがスゴイよね。

 一部では、アイザイア・シモンズ同様、「ナチュラルポジションが無いのでは?」という、疑問視というか不安視というか、そういう批判もあるようではある。確かに、運動能力抜群のセイフティとか言われてもねえ。
 比較対象のアイザイア・シモンズは、プロ入り2年後の現在、3−4のILB。どっちかつったら、運動能力の求められない、あるいは運動能力の活きないポジションではある。

 そういった意味では、ハミルトンのドラフトというよりは、ハミルトンのドラフト後に興味津々ではある。

 あと、ジョジョ・ドーマンというラインバッカーがエントリーしている。名前からして、スタンド使いである事は間違いないであろうが、問題は、そのスタンドがフットボールに役立つかであろう。エアロスミスとかセックス・ピストルズとかムーディ・ブルースとかでは、全然役立たん。最悪なのはパープルヘイズ。施設内スタンド出現禁止と契約書に明記されてしまう。似たようなのでも、グレートフルデッドなら、フットボールに役立つ。

 あとまあ、エコーズAct.3もいいよね。つかまあ、フットボールに限らず、最も役立つのはクレイジーダイヤモンドだけどさ。

 そのクレイジーダイアモンドのスタンド使い、仗助といえば、ジョジョ史上というか、ジャンプ史上(?)でも有数の金欠キャラであるが、よく考えたら、ジョセフが死んだら、莫大な遺産が入って来るんだよね。その遺産を当てにして、就職せず、ダメ人間になっていく仗助の物語も見てみたい気がする。

 承太郎さんに電話して、適当に会話した後、おもむろに、

 「そういえば、親父は元気してる。」
 「じじいなら元気だぜ。ボケっぷりはハンパねえけどな。」
 (元気なんか〜い。)

 でも、第6部時点でも、ジョセフは生きているという設定らしい。遺産が入ってくる前に、世界が一周してまう〜〜。

 んなとこかな、2022ドラフトは。

 2022の10年前は、当たり前であるが、2012年である。で、2012年といえば、コルツファンなら忘れまじのラック・ドラフトイヤーである。あれから10年か〜〜〜〜、う〜む。

 で、この2012ドラフト、いま改めて振り返ってみると、なかなかのバストイヤーである。とりわけ1巡上位指名は総崩れ。

 1位は、ご存じラックさんであるが、ラックをバストと見るか否かは、コルツファン、あるいはNFLファンでも意見の分かれるところではあろう。ラック・バスト説にも、一理どころか三理ぐらいはある。
 私の見解はというと、う〜〜む、やっぱバストかなあ。引退時期はともかくとして、スーパーボウルも未進出だし、全体1位指名、それも過去10年どころか、ここ20年くらいで最高の鉄板1位QBとしては、バストといわざる得ないんじゃないかなあ。

 まあ、ラックにすべて非がある訳では無いし、同情すべき点も多々あるけれど、あくまで結果の世界だし、最終的な結論としては、バストだと思う。少なくとも、バスト認定されても、私は強く反論できない。

 で、2位は、ロバート・グリフィン三世。グリフィンといえば、私は当時読者諸氏に怒られた訳ではあるが、反論を書いた読者諸氏には悪いが、当時の見解を私は1ミリも変えていない。修正の必要は無いと断言できる。

 元々、ドラフト段階から、ケガが懸念されていた選手であるし、プレイオフ出場のチャンスは、結果的に、あのシーズンしかなかった訳である。あそこで出場させなくても、似たようなキャリアだったろう。シャナハン父は、むしろ勝敗を度外視して、温情でグリフィンを出場させたと私は憶測しているぐらいである。

 それにそもそも「マンガ脳」なんて言葉を使っている人の意見に説得力なんかない。

 「マンガ脳」「ゲーム脳」「スマホ脳」、それに最近は「コロナ脳」か、ギャグとして使うならともかく、自身の真面目な意見に、そんな言葉を使っているようでは、それこそ知能が疑われる。

 最近はあまり使われなくなったが、一昔前、お母さんが好んで使った、「テレビを見ると、バカになる」とか「マンガを読むと、バカになる」とか、あるいは、その反対の「将棋をすると、賢くなる」とか「本を読むと、賢くなる」とか同様の何の中身も無い言葉である。ちょっと考えれば、この言葉のナンセンスなんて、すぐ分かる。それこそ、バカじゃなければね。

 そもそも、人間の頭の良し悪しなんていうのは、生まれた瞬間に決まっていて、後天的な努力では何も変わらない。そんな奴は見た事も聞いた事もない。もしも、後天的な努力で頭が良くなるというのなら、○○○や○○○(自主規制)は頭が良くなる筈だ。

 まあ、もっとも、年齢的な理由で、頭が良くなったり悪くなったりすることはあるだろう。どの辺をピークとみるかは意見の分かれるところであろうが、10才か15才か20才か25才か、その辺までは頭が良くなる、というか脳が成長していき、45才あたりで徐々に落ちていくというのが、人間の一般的な知的能力であろう。

 ちなみに、私なんかは12才ぐらいが最も頭が良かった気がする。そうして30才前後から徐々に落ちていき、45才からガタっと、という感じ。つかまあ、生まれた時が一番頭良いんじゃないかなあ。そこから徐々に落ちていっているような気もする。つかまあ、生まれた時が最も頭、すなわち知性を用いて、そこから徐々に使わなくなっていくのが知性、すなわち頭ではないだろうか。

 まあまあ、そういう知性成長論はともかくとして、頭の良し悪しなんていうのは、ほとんど生物学的な理由なので、後天的な努力刺激で、どうなるものでもない。
 だいたい、頭の良くなった人間、あるいは悪くなった人間なんて、生まれてこのかた見た事ない。ン10年ぶりに再会して、頭が良くなっていて、あるいは悪くなっていて驚いたなんて経験した事ない。知性や品性なんて、何年経っても変わらない。

 また、歴史上の人物、ニュートンにしたってガウスにしたってヴォルテールにしたってゲーテにしたって、みな子供の頃から頭がいい、それも際立って頭がいい。子供の頃はバカだったけれども、勉強の結果、頭が良くなった、あるいは、頭が良かったけれど、マンガやゲームに耽って、頭が悪くなった、なんて話は見た事も聞いた事もない。

 後天的な理由で、頭が悪くなるとしたら、ケガや病気といった肉体的な理由だけであろう。その究極が、ボケ老人である。頭に砲弾を受けてバカになっちゃった、とまでは云えないが、知的に衰えたといわれているアポリネールとかね。

 また、後天的な理由で、頭が良くなるとしたら、例の小説みたいな事であろうが、そんな医術があるのかは、私は知らん。

 とまあ、こんな事を書くと、「○○ちゃんは、一生懸命勉強して、テストで良い点を取った。」なんて反論する向きもあろうが、学校のテストなんていうのは、どんなバカでも、勉強さえすれば、すなわち暗記さえすれば、良い点が取れるように出来ているのである。賢い人にしか解けないような問題、例えば「優れた詩を書け」とか「未知の公式を発表せよ」なんて問題が出る訳がない。万人にチャンスを与えるのが、学校のテストというものである。そもそも、そんなテストがあったら、採点できる人がほとんどいない。

 勿論、頭の良い人は有利だけれども(つか、この世の大概の事は、頭の良い人に有利である。まさしく、ホモ・サピエンス。)、頭の悪い人にも、テスト勉強するだけで、すなわち暗記をするだけで、頭の良い人と同等の社会的地位を与えようというのが、所謂「ペーパーテスト」の主旨である。

 そうして、頭が悪いながらも「ペーパーテスト」により社会的地位を得た人々が社会の要所に付き、社会を腐らせてしまったというのが、ここ30年くらいの日本の停滞の、全てのとまでは云わないが、大きな要因のひとつとは云えよう。

 そうして、隣の中国は、それが千年二千年である。二千年前あるいは千年前は世界をリードする文明を誇った中国が、この千年間、あるいは二千年間で、完全に腐ってしまった、唯一ではないだろうが、最大の要因は、はっきり「ペーパーテストによる人間の選定」である。

 そもそも、頭の良い人、それも際立って頭の良い人は、社会的地位や富なんていうものは欲しがらない。そんなものが無くなって、自前の頭ひとつで十分十二分に幸せに生きていけるのである。富や社会的地位なんていうのは、かえって災いの元ぐらいに思っている。それらが必要だったら、ちょいとした努力で手に入れられるしね。
 そういう頭の良い人達を、ますます社会的地位から遠ざけてしまうのも、「ペーパーテスト」の裏側の罪ではあろう。

 閑話休題。2012年のドラフト話である。

 第3位は、コルツファンにもお馴染み、トレント・リチャードソン。その後連綿と続くブラウンズ物件第1号である。パガーノの悪口は、言う事自体が腹立つので、もう言わない。

 リチャードソンの場合は、当時の記事にも書いたが、私はそんなに悪くは思っていない。いかにも、ニック・セイバンのRBらしい万能型RBだったと思っている。マニングのようなQBなら重宝したろう。

 ただ、ラン能力がねえ。全体3位のRBとしては、あまりにキツイ。つか遅い。2巡中位ぐらいの指名だったら、リチャードソンのキャリアも、また違ったものになったろうと思う。そういった意味では、全体3位指名が、リチャードソのキャリアを奪ったとも云える。過大評価が人生を狂わせる、という実例ですな。その後、リチャードソン以上の順位で指名されたRBというと、2018年2位のセキオン・バークリー。これくらいは、やらんとねえ〜。

 んで、4位はマット・カリル。たまに出るトップ指名LTバスト。鉄板率の高いLTに、4位を使って、バストはイタイ。痛恨の一撃。クリティカルヒット。一応、プロボウルには一回選ばれてるけどね〜。欠員補充的に。

 5位はブラックモン。プレイ自体は悪かった印象は無いのだけれど、飲酒運転等々、度重なるフィールド外のトラブルでサヨウナラ。今は何処にいるのやら。

 6位はモーリス・クレイボーン。プレイ振りは全然見た事ないのだけれど、なんか知らんが、とにかく評価は低い。彼もまた、歴史的バスト。

 んで、7位8位にマーク・バロンにタネヒルと微妙なところが続き、9位のキークリーで、ようやくスマッシュヒット。

 もっとも、そのキークリーにしても、2019年と、ラックの翌年に引退しているので、ラック・バスト説が成立するのなら、キークリー・バスト説も成立しよう。まあ、スーパーボウル進出の立役者だし、バストって事は無いか。

 10位以降は、今季コルツ入りするステフォン・ギルモアとかドンタリ・ポーとかフレッチャー・コックスとかチャンドラー・ジョーンズとかスマッシュヒットもあるので、1巡中位以降は例年並みだとも云える。

 でも、1巡上位陣の総崩れっぷりはハンパ無い。過去10年つうか過去20年でも、ベストつうかワーストだと思う。精査してないけどさ。

 また、1巡指名のQB総崩れは、ポジションの性格上、致し方ない面もあろうが、この年は1巡指名WRが総崩れだったりもする。
 先のブラックモンに加え、マイケル・フロイド(13位)、ケンドール・ライト(20位)、A.J.ジェンキンス(30位)と総崩れである。10年後の現在、誰も現役で残っていない。フロイドとライトは、最低限の仕事はしたとは云えるが。
 まあ、4人指名で1人失敗ぐらいはありがちだが、4人指名で4人失敗って。もっとも、この年最高のレシーバーはサプリメント・ドラフトのジョシュ・ゴードンだったりする。フィールド外問題ハンパねーけど。

 つー訳で、結構なバストイヤーなのであり、所謂「もっかいドラフト」を実施したら、上位指名陣は、現実とは大きく異なるものとなるだろう。ラックをどう見るかは難しいところであるが、ラッセル・ウィルソン1位、チャンドラー・ジョーンズ2位みたいな感じかなあ。あと、ハリソン・スミスが10位以内に入るかもね〜。

 でもホント、10年後って分からんもんだよね。ラック指名した時点では、まさか10年後、つか8年後、リバースがコルツの先発QBしてるとは思わんかったし、10年後のマット・ライアンも考えられないよねえ。バックアップQBなら、ギリ考えたかもしれんが。

 まあ、私個人でも、10年前の私が今の私を想像できたかって云ったら、まず無理。環境激変とまでは云わないけど、予想を超えて、大きく変わっている。「明日の予定を立てないのは愚か者である。同様に、10年後の予定を立てるのも愚か者である。」、だよね〜〜。

 10年後の予定を立てて大失敗したのは、何と云っても、スコッティ・ピッペンだよね〜。

 オニール・クルーズが逆転サヨナラ2ランホームラン打ってた。

                              2022/4/27(水)
ドラフト感想  さて、本チャンである。例年だと、この時期は、いい年こいて、ドラフト当日を指折り数えるくらい楽しみにしているのであるが、今年は、先述したとおり、テンションが低い。気が付いたら、ドラフト前日になっていた。危ない危ない。

 で、当日は、G+の生放送を見るとはなしに見ていた。

 でも、この番組も息長いよね。GAORA時代も含めると、なんだかんだ言って10年目である。GAORAからG+に切り替わるときに、一回休んでだっけ。

 10年前というと、あの忘れまじのラックさんドラフトである。番組開始早々、近藤さんが、「全体1位はもう決まっています。つか、2位も。」とかぶっちゃけちゃって、記念すべき第1回放送を台無しにしてたよね。この放送はDVDに保存しているので、もっかい見てみっかな。あまりに複雑怪奇な感情が湧き上がってくるだろうが。最大の問題は、そのDVDが何処にあるかが皆目分からないって事であるが。

 でも、こんなニッチな番組が、よく10年も続いたよね。毎年、この時期は、「今年は放送ねーだろーなー。」なんて不安な気持ちになるのであるが、細々とつないできたよね。よくやった、GAORAア〜ンドG+。褒めてつかわす。

 で、今年の放送は、その近藤さんの姿は無く、ラルフ鈴木と小高アナが出てた。ラルフに関しては、以前酷評したので、繰り返さないが、小高アナは何。性接待要員?(コラコラ)。

 でもまあ、この小高アナに限らず、この手の番組での女子アナ起用の理由が私には全く分からない。コメントを聞く限り、素人感丸出しだし、「NFL倶楽部」の出演が決まって、慌ててジェッツファンになった感じだし、性接待要員は言い過ぎにしても、完全にセックスアピール要員だよね。

 フットボールに関する知識や情熱があるのなら、老若男女を問わず、私は大歓迎である。でも、この小高アナに、それは無い。「初心者の疑問を代弁します〜〜。」なんていうのは、最低である。フットボールに限らず、何事でも、情熱があれば初心者じゃないのだから。初心者っていうのは、要するに、情熱どころか、興味もないって事である。外的要因から、認識を強いられているという事である。

 毎度思うが、なんでこういうのをフェミニストは問題にしないのだろう。「知識も情熱も無いのに、起用する」というのは、「知識も情熱もあるのに、起用しない」のと同様、女性差別だと思う。女性のパイが増えればそれで良いのか。それが、女性の社会進出という事なのか。かえって侮辱されていると思うのは、私だけなのだろうか。言葉狩りしか、興味ないのかね。

 まあ、もっとも、知識や情熱があり過ぎる女子アナというのも、これはこれで困ったものなのではあるが。

 かつて、あのガチ巨人ファンの遠藤玲子アナが、「プロ野球ニュース」で、平松だったか誰かに、

 「いやあ、巨人のピッチャー陣は、最近みんな調子が悪いんですよね〜。どうですか、遠藤さん。」とか振られて、
 「ほんと、しっかりしてもらわないと困りますよね。」と、冷たく言い放って、周りをドン引きさせていた。私も、ドン引きした。

 しかも、旦那はプロ野球選手じゃねーし。ガチ過ぎんだろ。

 遠藤アナのガチっぷりはともかくとして、来年のドラフト放送は、やっぱり近藤さん起用でお願いします。増田さんと組ませても、面白いんじゃないの。でも、近藤さんも、この時期は忙しいからなあ、野球の実況で。本職にカンバーーーック。

 で、いよいよ、ドラフトの感想。

 今年は、ここ数年の、あのバカらしいコロナ騒ぎも終息し、完全にコロナ以前に戻り、ウォールームやバカ丸出しの衣装も復活である。コロナ期間中の自宅公開&家族友人公開、つうか自宅公開処刑&家族友人公開処刑も、あれはあれで面白かったのであるが、コロナ以前に戻って何よりである。つか、コロナ以前よりベタベタしてた。「ソーシャルディスタンス」も、いまや死語のようである。

 んで、初日であるが、今年の初日の特徴は、何といっても、QBがケニー・ピケット(PIT、20位)ひとりしか指名されなかった事であろう。
 ドラフト前から、今年のQBの不作は知れ渡っていたので、それ自体に驚きは無かったのであるが、それでも、やはりなかなかに新鮮ではあった。

 いくら「QB不作」といっても、そこはQBなので、無理気味に数名指名されるかなと思っていたのであるが、それは無かった。単純に「本格的に不作」というだけなのかもしれないが、多少QB観も変わってきているのかもしれない。これから10年20年はともかくとして、これから数年くらいは、QBの価値はダウントレンドになるのではないだろうか。

 どの程度のダウントレンドかはともかくとして、無理気味に指名されて、潰れていくよりは、はるかにマシだと思う。ここ10年くらいでも、ウィンストンとかトリビスキーとかボートルズとか、死人に鞭打つようで申し訳ないが、ハスキンスとか、無理気味に1巡指名されて、潰れていった、あるいは、消えてったQBは本当に多い。むしろ、そっちの方が多数派といってもよいくらいである。ゴフやウェンツも、その仲間入りしてしまうかもしれない。まあ、勿論、無理気味に指名して、大成功したマホームズのような例もあるけれど。

 最近、私が思うのは、ラック級の圧倒的な実力者ならともかく、平均的なといったらおかしいが、例年並みの力のQBだったら、2巡3巡くらいで指名して、1,2年くらいサイドラインで勉強させてからデビューさせ、それで良さ気だったら、5年5000万ドルぐらいの契約をする方が、プレイヤーにもチームにも優しいのではないかという事である。現今の制度、というかパターンは、プレイヤーにもチームにも、あまりにキツイ。それを支えているのは、アメリカのQB幻想だと思う。

 現在の3大QB、ブレイディ、ロジャース、マホームズが、いずれも1年目はサイドラインだったという事は、意外に重要な事実であるような気がする。

 んな訳で、「QB外し」が顕著な今年のドラフトなのであるが、そうなると、当然の事ながら、エッジラッシャー、LT、WRに指名が集中。この3ポジションにあらずんば、1巡にあらず、みたいな印象であった。

 その中にあって、という訳でもないが、私の期待した、というか注目したカイル・ハミルトンは14位でレイブンズが指名。

 まあまあ、そんなとこだよね。今ドラフト一番のタレントといっても、セイフティだしね。なかなか10位以内は厳しいか。
 元々、セイフティというのは、CBが務まるほど俊敏でなく、LBが出来るほどタックル力は無く、DTを任せられるほど重くなく、エッジラッシャーに収まるほど運動能力の無い選手、謂わば「最後の選手」をはめるポジションなのだから、当然だよね。

 つかまあ、トレードで得たドラフト権ならともかく、昨シーズンの順位に準じたドラフト権の10位以内で、セイフティを指名している余裕があるかっつの。
 実際、2017のドラフトで、それをやった(6位でジャマール・アダムスを指名!!!)ジェッツは、プレイヤー的には大成功だけど、チーム的には大失敗というマヌケな結果に終わっている。

 あと、そうそう、前回の記事で、一番大事なことを書き忘れていた(忘れるなよ!!!)。

 イーグルスの1巡3つ全員バスト(呪)

 でも、その3つの1巡はややこしくトレードされたので、

 ジョーダン・デービスとA.J.ブラウン、バスト(呪)

 でも、ジョーダン・デービスって、やりそうな感じなんだよなあ。顔的にも名前的にも。

 あと、何気なくジャーガ−ズの全体1位も腹立つ。コルツとの最終戦に勝って、尚且つ全体1位もゲットかよ。という訳で、

 トラヴァン・ウォーカー、とりあえずバスト(呪)

 すいません、知ってると思いますけど、僕、狭量なんです。

 でも、ジャガーズって、しょっちゅう5位以内10位以内にいるよね。だいたい、2年連続全体1位だって、結構珍しいよね。って、書こうと思って、一応調べたら、結構いた。気になる方は、ご自身で調べてちょ。

 あと、ライオンズの全体32位も、ちょっと可哀想だよね。スタッフォードを放出して得たドラフト1巡が、まさかの32位って、あんまり無いパターンだと思う。さすがに、これは、めんどくさそうなので、調べてないけど。
 ライオンズ首脳陣は、おそらく20位前後くらいを予想していたのだと思うけど、まさかの32位って。

 この手の未確定1位が何位になるかって、結構大きいよね。32位と1位じゃ、えらい違いだもの。100万円と1億円は大袈裟だけど、100万円と3000万円ぐらいの差はあると思う。100万円と1000万円って事は無いと思う。2巡の33位と64位に、そこまでの差は無いけどさ。

 で、ライオンズは、その32位を悲しくトレードアップして、12位でジャメーソン・ウィリアムズを指名。ウィリアムズの成功を祈ります。

 さて、いよいよコルツドラフトの話。もしかしたら、1巡にトレードアップもあっかな〜と思って、見ていたのであるが、それは無し。さすがに、原資がないか。

 んで、


 1巡16位 マット・ライアン QB ファルコンズ

 さすがに飽きんな、3年連続だと。このネタも。


 で、コルツファン待望の2日目になるのであるが、余りに余ったQBを指名すんじゃないかと思って、私はヒヤヒヤしていた。

 そのコルツの42位が近づいてきても、どこもQBを指名せず、一方で、我が愛しの、って程でもないが、ちょいと目を付けていたミッチー・ラブもまだ指名されず、不安と期待の入り混じった気持ちで、42位を迎えたら、まさかというかやっぱりというか、トレードダウン。53位に変えちゃいました。

 んで、44位でテキサンズがミッチー・ラブを指名。チャンチャン。ハート・クイーン、さようなら。


 これで、ミッチー・ラブが活躍したら、バラード殺す。私が直々に殺す。ビックワンに代わって、殺す。

 あっ、一応念のため断っておきますけど、このくだり、ギャグですからね、ギ・ャ・グ。あくまで、レ・ト・リ・ッ・ク。これで、もし、ミッチー・ラブが活躍せずに、そうしてバラードが死んだら、私が疑われてしまう。強大な動機があるし、何より殺害予告してるし、インディアナ州警察が私の自宅にすっ飛んできても、私は言い訳出来ん。ギャグですからギャグ。レトリックですから。

 で、その53位で指名したのが、


 2巡53位 アレク・ピアース WR シンシナティ大学

 っな。

 2年前のドラフトでピットマンが指名された時に、私はピットマンの事を「ヒギンズより体格寄り」みたいに評したけれども、このピアースは、それより更に「体格寄り」な選手。なにしろ、現地の放送の比較対象が「チェイス・クレイプール」なんだから、推して知るべしであろう。ほとんどTEみたいなもん。6−3、211パウンド。

 っで、この手の選手にありがちらしく、「その体格を活かして、密集地帯に強い」みたいな評が多いのであるが、この手の評価に毎度思うが、フットボールで「密集地帯」ってシチュエーション、あんま無いだろ。

 そもそも、QBは「密集地帯」には、まず投げんだろ。インターセプトされれば、批判の対象になるし、なにより、スタッツに傷がつくし。
 まず、基本はオ―プンレシーバーを探して、それが無ければ投げ捨てだろう。「密集地帯」に投げざる得ないのは、それこそ「ヘイルメアリ―」みたいな限定的なシチュエーションだけだと思う。パスインコンプリートもインターセプトも同じみたいなシチュエーションである。それでも、まずはオープンを探すだろう。

 で、御多分に漏れず、「ルートランニングが苦手、セパレートできない」みたいな評価もあるが、一方で「ボールを捕る際に、体を使うのが上手い」みたいな評価もある。所謂、バスケットボールで謂うところの「スクリーンプレイ」である。この能力に長けていたフットボールプレイヤーと云えば、何といっても、あのアントニオ・ゲイツであるが、それはともかく、この能力、つうか技術があるなら、期待できる。

 また、「フットボールIQが高い」みたいな評もあるが、こればっかりは見てみないと何とも言えん。つか、WRにフットボールIQって重要?。

 あと、とりあえず、「その体格を活かして、ブロッカーとスペシャルチーマーとしては優秀」という評もあるが、そんな能力、2巡に求めとらん。

 2巡はこれにて終了。3巡は3つあって、一つ目は、


 3巡73位 ジェラニー・ウッズ TE ヴァージニア大学

 無くは無いかなと思っていたが、タイトエンドを指名。

 デカイ、とにかくデカイ。6−7、259パウンド。

 で、それだけ、という感じ。

 もともとはオクラホマ・ステイト大学の選手だったのだけれど、そこではパッとせず、ヴァージニア大学に転校して、昨年(2021)、まずまずの成績を残して、プロスペクトになったみたい。

 まあ、なんつーか、「ザ・荒削り」みたいな選手。アリー=コックスを更に荒くした感じ。って、荒過ぎんだろ。

 まあ、なんつーか、「荒削り」な選手っていうのは、フットボールに限らず、どんなスポーツの世界にもいるだろうけど、大概「荒い」ままで終わるんだよなあ。
 「荒削り」ちゅうのは、「未だ削りが荒い」選手では無くて、「硬すぎて、荒くしか削れない」選手がほとんどなんだよなあ。まあ、下柳みたいな例もあるけどさ。「ソフィスティケート」とか「ポリッシュメント」って、意外に先天的なものなんだよなあ。
 

 3巡二つ目は、


 3巡77位 バーナード・レイマン OT 中央ミシガン大学

 前回の記事で、私はコルツのニーズにLTを数えていなかったけれども、それは、エリック・フィッシャーと再契約するみたいなような記事を読んだような記憶があったからである。でも、今、公式ページのトランザクションの項にも、その記載は無い。私の記憶違いかしら。

 もっとも、フィッシャーとの再契約は無くとも、2巡42位を使ってのLT指名は、私は反対であった。というのも、今ドラフトは、上述したように、QB不作で、上位指名は、エッジラッシャー、LT、WRの連打になる事が予想出来、実際そうなった訳であるが、そのおこぼれのLTを2巡42位を使って指名するくらいなら、1年我慢して、来季の1巡に賭けた方が良いと思っていたからである

 んで、ここでOTを指名。

 出身はオーストリアで、元々はワイドレシーバーだったが、大学入学時にタイトエンドに転向、そうして、2020年にOL転向したプレイヤーである。

 その経歴から分かるように、動きは機敏ないし俊敏であるが、一方でパワー不足を懸念する声もある。もっとも、コルツでLTをするのならば、隣はネルソンなので、その点は大きな問題にならないだろう。

 また、インスティンクト不足を懸念する向きもあるが、これは致し方なかろう。やりながら身に着けていくしかない。

 また、今年の9月で25才になるので、その点を懸念する向きもあるが、最近は選手寿命も伸びているし、OLは40才近くまでやる人もいるし、その辺の不安はあまり無いであろう。これが、CBやRBなら、重大な懸念材料だけどね。

 つう感じで、色々弱点も無くは無いのであるが、いずれも克服可能なものだと思われる。コーチングというよりは、どっちかつうと、バルクアップも含めて、本人の努力次第みたいな課題である。

 3巡77位で正LTをゲット出来たら、大きいので、期待したい。面白いピックだと思う。

 TE上がりのLTというと、ジェイソン・ピータースが有名である。目指せ、ピータース。


 んで、三つ目の3巡はというと、


 3巡96位 ニック・クロス S メリーランド大学

 セイフティの指名である。

 体格、運動能力ともに理想的で、大学時代は陸上競技もしていて、直線スピードも速い。

 一方で、アジリティやクイックネス、ちゅうか方向転換能力に欠けるらしく、マンカバーは苦手なようである。

 まあ、要するに、典型的な「カバー2セイフティ」である。

 エバーフェルズが退任したので、カバー2はどうすんのかな〜と思っていたが、この指名、更には、後述するが、3日目の指名なども鑑みると、カバー2は継続するようである。

 スカウティングレポートをざっと読んだ限りでは、結構期待できそう。上手くいけば、オールプロはともかく、プロボウル級にはなりそうな気配はある。うかうかできないぞ、ブラックモン&ウィルス。いずれにしても、センデホーよりはグレードアップできそう。別に、センデホーが嫌いだったわけではないけどさ。さすがに。

 例によって、「最悪、優秀なスペシャルチーマー」という切ない評もあるが、そこで留まらないよーに。いや、まあ、スペシャルチーマーも大事だけどさ。曲がりなりにも、2日目指名のプレイヤーだし。


 疲れてきたので、3日目は次回。

                         2022/5/5(木) 子供の日。おっさんだけど。

 で、3日目である。

 4巡は無くて、


 5巡159位 エリック・ジョンソン DT ミズーリ・ステイト大学

 下位とはいえ、DTを指名するのは、結構久しぶりのような気がする。

 さすがに、この巡になると、情報は乏しいのであるが、6−4、299パウンドという体格から察するに、インサイドラッシュ要因のワンギャッパーかと思われる。

 出身は、ミズーリ・ステイト大学という事で、あんま聞いた事ないので、調べてみたら、ディヴィジョンTのミズーリ・ヴァリー・フットボール・カンファレンス所属。ちなみに、インディアナ・ステイト大学も同カンファレンス所属。

 情報が少ないので、なんとも云えないが、名前的には、なんか活躍しそうではある。DTはベタな名前の方が活躍するのだ。


 6巡は二つあって、一つ目は、


 6巡192位 アンドリュー・オグリツリー TE ヤングスタウン・ステイト大学

 情報は、皆無に等しい。運動能力は高いらしいが、ハンドもブロッッキングもイマイチらしい。前回の記事で、ウッズの事を「荒削り」と評したけれども、それを更に荒くした感じ。って、荒過んだろ。全然削ってないじゃん。そこらへんに転がっている石じゃん。まさしく、言葉の率直な意味で、「原石」。

 出身は、ヤングスタウン・ステイト大学。ミズーリ・ステイト大学は、まだなんとはなしに耳に覚えがあったが、こちらは全く無し。完全な初耳。

 調べてみると、オハイオ州にある大学で、フットボールは、ミズーリ・ステイト大学やインディアナ・ステイト大学と同じく、ミズーリ・ヴァリー・フットボール・カンファレンス所属。何?、ついで買い。ミズーリ・ヴァリー・フットボール・カンファレンスからバックマージン貰ってんの。


 二つ目の6巡は、


 6巡216位 カーティス・ブルックス DT シンシナティ大学

 本日二人目のDT。

 6−2,287パウンドという体格なので、エリック・ジョンソンと似たようなタイプかと思われるが、エリック・ジョンソンと違って、こちらはシンシナティ大学なので、いくらか情報は多い。

 典型的なワンギャッパーのパスラッシャーで、パワーに欠けるという評価である。おそらく、エリック・ジョンソンも似たようなタイプなのだろう。

 ここ最近のコルツ、というかバラードのドラフトは、同じポジションの似たようなタイプをまとめて指名するという特徴がある。今年のTEとDTとか、昨年のパスラッシャーとかである。

 「方針が一定している」とも云えるが、「選択に自信がない」ともいえなくはない。「とりあえず、両方買っとけ。」みたいな。また、方針そのものが間違っていると、壊滅的な損害を被る(レシーバー陣)という大きな弱点がある。

 話をブルックスに戻すと、ジョンソン、ブルックスともに、典型的なインサイドラッシャー。クロスの指名も考え合わせると、先にも触れたように、カバー2は継続のようである。このへんは「方針が一定している」といったところか。

 そうして、二人目のシンシナティ大学。ついで買いか。レジ横の乾電池か。


 最後は7巡で、


 7巡239位 ロドニー・トーマス2世 DB イェール大学

 何の情報もねー。公式ページにもねー。

 コルツは、つうかバラードは、例年、この順位あたりでスペシャルチーマーの補充に余念が無いので、スペシャルチーマーかな。まあそれは、賢い選択だと思う。

 リターンが出来るかどうかは知らんけど、アイザイア・ロジャースみたいな感じか。

 でも、このイェール大学といい、ヤングスタウン・ステイト大学といい、ミズーリ・ステイト大学といい、バラードは、毎年のように、スモールカレッジから指名するよね。目利きぶりを誇示したいんか。「マイナーカンファレンスにも目を配ってますよ〜。」って感じか。なんつーか、「ステイト」の付く大学、好きだよね。マジックとバードも大好物だろうな。


 以上8名が、2022コルツドラフトの結果である。

 レイマンが最も期待、というか面白そうなピックかなあ。あと、DTコンビかな。クロスは最もセイフティピック(駄洒落じゃないよ)という気がする。
 逆に不安なのが、ピアース、ウッズ、オグリツリーのレシーバー・トリオ。この3人が、コルツのパスオフェンスを改善できるようになるとは、とても思えん。

 先の記事を書いてから、ピアースのハイライトフィルムを何個か見てみたけど、不安は募るばかり。なんつーか、NFLでやっていくための絶対的なスピードやクイックネスが無いように映った。
 得意のプレイであろう、ディープでの1対1から体格を活かしてのレシーブも、同じ事がNFLのDB陣相手に通用するとは、とても思えん。

 まあ、所詮はハイライトフィルムなんで、信用は出来ないけれど、不安は募るばかり。あと、顔も不安要素。予想の外れる事を願う。

 んなとこかな〜。あっ、そうそう、「ドラフト展望」の記事で紹介したジョジョ・ドーマンは、結局指名されず。スタンド使いである事が嫌われたかなあ。

 そうそう、ジョジョといえば、最近、某テロリスト動画サイトで、「外国人のジョジョ視聴リアクション動画」的なものを熱狂的に視聴している。同じのを何度も見ちゃう。

 こっから先は、ドラフトもNFLの話も全然出てきません。アニメとマンガの話ばっかです。アニメやマンガに興味の無い方は、ここで読むのを終了してください。興味の無い方でも、楽しめるように書いたつもりだけどさ。

 もう、なんつーか、リアクションが凄いんだよね。いいとこだけを編集しているんだろうけど、さすがにリテイクは無いと思う。

 で、凄いんだわ、このリアクションが。泣いたり喜んだり、大騒ぎ。一喜一憂なんてもんじゃない。十喜十憂ぐらい。主題歌は一緒に歌ってるし。「東映まんが祭り」かっつーの。

 「アブドゥルが死んだ〜。」、「アパッキオが死んだ〜。」って、大泣きするし。私なんか、肉親が死んでも、あんなに泣かないっつーの。泣けよ。

 グロいシーンは、男女問わず、目を背けるし。

 でも、ああいうリアクションを見ていると、ヨーロッパはともかく、アメリカでの、あの手の番組での規制がいかに厳しいかっていうのが良く分かる。エログロは、ほぼ排除されてるんだろう。「セーラームーン」を作ろうとして、「パワーパフガールズ」が出来上がっちゃう国だしね。

 もっとも、日本も、最近は異常なくらい厳しいけどね。80年代のマンガのヒロインなんて、多くが単なる人気取りの為だけに脱がされてたもんな。「ゴレンジャーごっこ」なんて、女性キャラのほとんどが常に全裸だったけどな。原始時代じゃないよ、現代の話だよ。今じゃ、ナミもロビンちゃんも乳首見せねーし。

 また、子供、ローティーン以下の子供の死も、ほぼタブーだよね。だから、重ちーの死にスゲーショック受けてた。あんなんでショック受けてたら、「ザンボット3」や「イデオン」なんで見れねーぞ。アキやアーシュラちゃんの死なんて、あんなもんじゃないからな。あと、浜本の死も。

 もっとも、80年代以前でも、当然ながら、規制はあった訳で、例えば、「デビルマン」の終盤も、マガジン編集部が抑えに抑えて、あの表現に収まったらしく、永井豪のイメージでは、もっとすごいものだったらしい。

 今更「表現の自由」を云々するつもりはないけれど、過度の規制は良くないよね。規制された作品ばかりになってしまったら、女に乳首は無く、子供は死なないと思う人が出てくるよね。実際、「人間は死なない」と思っている人は沢山いるからね。今回のコロナ騒動で、それがはっきりしたでしょう。
 毎月とは云わないけれど、年に一回ぐらい死体を見る事は、精神衛生上正しい事だと思う。そういった意味では、インドは、やはり優れた国だと思う。

 もっとも、富野由悠季みたいに、「子供に、現実は厳しいという事を教えてやる。」っていうのも、エンターテインメントとして、どうか、という問題もあるにはあるが。

 まあ、「表現の自由」が完全に認められるという事は、政府が無くなる、すなわち無政府状態に移行するという事であるので、そんな事は、1万年後はともかく、百年千年先程度では実現できないであろうが。

 あとまあ、ジョジョのリアクション祭りを見ていて思ったのは、日本の週刊マンガ特有の構造である。日本の週刊マンガというのは、当然の事ながら1話毎、すなわち16〜20ページ毎に「盛り上がり」を作らなければならない。
 で、それをアニメ化すると、週刊マンガ2,3話分を1話にまとめる事になるから、「盛り上がり」が多過ぎて、所謂「ジェットコースター・ムービー」になってしまう。視聴者の女性が、「私の気持ちを上げ下げしないで!!!」って、怒ってたけれど、それは致し方の無いとこだろう。

 ちなみに、この1話毎、16〜20ページ毎に「盛り上がり」を作るという構造になじめなかった、あるいは、その構造が身に付かなかったのが、手塚治虫とトキワ荘グループである。彼等が、週刊誌時代に低迷したのは、いろいろ理由はあるだろうが、その一つはこれだと思う。トキワ壮グループの多くは月刊誌ペース、すなわち50ページぐらいで「盛り上がり」を作っていた人達であるし、手塚治虫に至っては、読みきり単行本、すなわち200ページの人である。週刊連載は、そういった意味でも、体になじまなかったろう。

 閑話休題。ジョジョのリアクションの話に戻すと、彼等が時折、話の展開を色々予想提案するんだけど、それがまあ酷いんだわ。完全にB級映画レベル。いや、それ以下かも。ロジャー・コーマンも怒り出すレベル。

 ましてや、当時のジャンプ読者、つかジャンプ編集部だったら、殴り飛ばされるレベル。いかに、当時のジャンプがエンターテインメントの世界で世界トップを独走していたかって事である。この30年前の作品がいまだに現役なんだもの。

 30年前っつたら、私の子供の頃の比率でいったら、「あしたのジョー」どころか、「鉄腕アトム」や「鉄人28号」だよ。まあ、さすがに、「のらくろ」や「タンクタンクロー」って事は無いけどさ。

 当時の子供、すなわち我々が、「鉄腕アトム」を読むかっつたら、史料として、あるいは教養として読む事はあっても、娯楽として読む事は無かったろう。少なくとも、現役ではなかった。「Dr.スランプ」や「キン肉マン」と比べたら、軍配は明らかだろう。

 実際、「アトム」をアップデイトした「ジェッターマルス」は話題にもならなかったし。「アトムキャット」をアニメ化した方が、まだしもマシだったかもね。

 ところが、「ジョジョ」は、まだ現役。つか、ドラゴンボールに至っては、いまだトップだものね。「鉄腕アトム」から「ドラゴンボール」までの30年間でマンガは大きく進歩したが、「ドラゴンボール」以降の30年間は、あまり進歩しなかったとも云える。
 と書くと、ここ30年のマンガ家やマンガ関係者の努力不足の様に聞こえてしまうが、「あるところまでは一気に進んで、そこから先は停滞する」っていうのは、マンガに限らず、人間の活動全体に云える事なので、彼等は責められない。人類の進歩は、1次直線的ではなく、2次曲線的なのだ。

 でも、あの「ジョジョ」がねえ。リアクション祭りを見ながら、私は「こっちは、魔少年ビーティ―の頃から見てるつーの。」なんて毒付いたりもした。つげ義春ブームの頃、「こっちは貸本時代から見てるつーの。」と毒付いていた人達と似た心持ちかもしれない。

 でもまあ、子供の頃、「魔少年ビーティ―」を友達と回し読みをして、「スゲー漫画家が出てきた。」と思ったのが、今でも懐かしい。
 もっとも、その後、荒木飛呂彦は連載を2度失敗をして、謂わば背水の陣で臨んだのが、この「ジョジョ」だったと思う。まあ、連載を2度失敗しても、まだチャンスを貰えたのだから、ジャンプ編集部も期待していたのだろうし、一定の読者は獲得していたのだろう。

 でも、登場人物が肌肉ムキムキになったのには、子供心に「ジャンプ編集部の軍門に降ったな。」なんて思ったりもした。

 で、その背水の陣の「ジョジョ」も第1部では、あまり人気は出ず、第2部の「逃げるんだよー」で、そこそこの人気を獲得し、第3部の「スタンド」で、軌道に乗った訳である。それでも、人気投票1位を獲得した事は無かったんじゃないかな。「キン肉マン」や「北斗の拳」、「シティーハンター」等々があったし、なにより「ドラゴンボール」が君臨していたし、当時のジャンプは恐ろしい雑誌だった訳である。「魁!!男塾」と比べてもどうかぐらいの人気だったと思う。桃太郎と承太郎は似てるよね。よくぞ、ここまで残ったと思う。後述するが、それはひとえに「スタンド」の発明によるものだろう。この天才的な発明が色々な問題を一気に解決したのだ。

 ちなみに、「魔少年ビーティ―」は荒木マンガの原型である。「善だか悪だか分からない怪しげな主人公、その丁々発止の駆け引き、それに振り回されながら、それを解説する善良な少年」。今でも変わらぬ荒木マンガの基本構造である。この「善良な少年」の頂点は、申す迄も無く、「広瀬康一」君であろう。

 で、話をリアクション祭りに戻すが、これって貴重な映像だと思う。案外、今までこういうのは無かったと思う。荒木先生は、さぞかし喜んだであろうし、今更だけど、何より勉強になったと思う。

 この手の読者の反応っていうのは、広告代理店や編集部は、それこそ必死になってリサーチしているだろうけど、真の姿は案外分からないものである。試写は所詮試写だしね。

 マンガやアニメに限らず、芸術活動の研究というと、作家と作品については、それこそうんざりする程、大量の研究がなされているけれど、読者の研究、視聴者の研究は、案外というか、やっぱりお粗末である。前二者に比べて、非常に研究しずらい分野だからである。

 たとえば、ゲーテがどういう作家であり、「ファウスト」がどういう作品であるかは知っている。またボードレールがどういう作家であり、「悪の華」がどういう作品であるかは知っている。でも、「ファウスト」や「悪の華」がどういう風に読まれていたかは、全然分らない。ドストエフスキーやトルストイは、それこそ新刊を全ロシア国民が待ちわびるような作家だったらしいけど。「全」はさすがに大袈裟か。

 でも、芸術現象というのは、作家、作品、読者の三位一体で成立するものである。太宰治は、それを正三角形に喩えていたと思う。

 二次創作をする人達、キャラクターの強さ比べをする人達、そういう人達の研究は、もっと盛んになって然るべきだろう。あと、何故にエロDVDに○○(自己規制)するのかも。

 でも、この「リアクション祭り」の人達を見ていて、私は初めは、「こっちは魔少年ビーティーを回し読みしてたぞ。」なんてイキがっていたけど、そのうち、「最初にアニメで見た方が幸せかな。」なんて、思ったりもした。BGM付きの方が、より楽しいだろうし、アクションシーンも、アニメの方が、分かり易ろう。あとまあ、当然だけど、色も付いているしね。

 私も、アニメは見るには見てたが、連載開始ちゅうか連載終了からン十年経過していたし、今更感はぬぐえず、どっちかつうと、「鑑賞」というよりは「確認」に近い視聴であった。「あ〜、こうしたんだ。」とか、「ここ削ったんだ。」とか、である。

 でも、「ジョジョ」のアニメは、主題歌が主題を歌っていて、良いよね。って、これ、当たり前の事のように思われるが、アニメでは意外に珍しい。原作が連載中であったり、アニメの企画初期段階で、主題歌が作られたりすると、結構トンチンカンな「主題歌」が出来上がってしまう。

 有名処だと「機動戦士ガンダム」だよね。全然燃え上ってねー。敵も巨大じゃねー。あっ、ビグザムとかジオングは巨大か。

 そのほか、「ドラゴンボール」も結構違うよね。物語初期段階では、確かにドラゴンボールを追いかけてたけど、途中から、というか結構早い段階から、単なる「便利アイテム」に成り下がってたよね。それこそ、RPG的な。全然追いかけてねー。いつでも手元にある。

 また、エンディングテーマも全然違うよね。全然、誰もロマンチックあげてねー。まあ、これも企画初期段階、つうかDr.マシリトの企画、ちゅうか希望段階では、ブルマが悟空にロマンチックあげる予定だったんだろうけど、鳥山先生が、そんなロマンチック許す訳もなく、全然ロマンチックの無いマンガになっちった。まあ、画面に出ていないところで、ブルマはベジータにロマンチックあげてたのかもしれないけどさ。あと、人造人間18号はあげたかな。

 ちなみに、主題歌とエンディングテーマが完全に作品と一致していたのは、何といっても、「伝説巨神イデオン」であろう。傷を舐めあう道化しばい〜。

 ついでに、「ジョジョ」について、もちっと語るか。

 「ジョジョ」といえば、「主人公交代をした初めての作品」みたいに云われているが、それは違う。大ヒット作品としては、「ジョジョ」が初めてかもしれないが、「主人公交代」は既に「ワースト」で行っている。それも、ジョジョより、もっとシビアに、あっけなくである。

 ちなみに、この「主人公交代」というのは、はっきり云って、誰でも思いつくアイデアである。でありながら、多くの作家がそれをしなかったのには理由がある。どうしても「先代と二代目の相克」という問題が発生するからである。

 実際、「ジョジョ」でも「承太郎と仗助の相克」という問題が、第4部で発生している。多くの読者が、第4部の主人公である仗助に物足りなさを感じたのは、当然、承太郎がいたからである。
 同じような事は、第3部の承太郎とジョセフにもあったろう。もっとも、こちらは、ジョセフが老人となり、現役感が薄かったので、その分「承太郎とジョセフの相克」も薄まっていた。これがもし、ジョセフが30代だったら、この相克は深刻なものとなっていた筈である。

 この問題は、「ジョジョ」に限った事では無く、所謂「シリーズもの」「パート2もの」には、常にまとわりつく問題である。「マジンガーZとグレートマジンガー」とか「アムロとカミーユ」とか「孫悟空と孫悟飯」とか、枚挙にいとまがない。「パート2もの」が失敗する、全ての、とは云わないが、大きな要因ではあろう。

 この問題が大きくのしかかるために、制作者サイドは「パート2もの」を嫌がる。一方、出資者サイドは安易に、というか第1回目から人気を獲得できるので、「パート2もの」を好む。でも、やっぱり、この問題が解決できず、失速しちゃうんだよね。

 「ガンダム」が、「F91」以降、「アムロとシャア」のからだいぶ先の時代を舞台にし、それぞれの話も時代的に隔てたのは、これが理由であるし、所謂「非宇宙世紀もの」を作り出し、時間どころか空間まで隔ててしまったのも、これが理由である。もっとも、「ガンダム面とハロと仮面の男」があれば、「ガンダム」だと思って、律儀に視聴している人達もどうかと思うけどね。それこそ、「読者」の研究が必要であろう。ガンダムって、何?。

 ちなみに、「ジョジョ」が、何故に「主人公交代」という形式を採用したのかというと、これはあくまで私の憶測だけど、企画段階、荒木飛呂彦の初期構想段階では、承太郎が主人公だったのだと思う。承太郎が日本人であり、第3部が「現在」である事が、これを想起させる。最近の読者は意外に気付いていないかもしれないが、第3部だけが「現在」であり、それ以外は「過去」か「近未来」の話なんだよね。あと、「一周回った世界」。最近の読者にとっては、みんな「過去」の話だろうけど。

 それはともかく、おそらく、承太郎が初期段階の主人公、すなわち「ジョジョの奇妙な冒険」の主人公であり、「第1部」や「第2部」は、承太郎の過去バナ、回想シーンの巨大に膨れ上がったものであろう。承太郎のキャラクター作りの一環としての「第1部」「第2部」だったろうと思う。そうして、第3部、すなわち、真の「ジョジョの奇妙な冒険」は完結する予定だったのだろう。

 ところが、「スタンド」という、後述するが、漫画家にとってはヒジョーに魅力的なアイデアというか、ギミックを、引き続き使用したいがために、「ジョジョの奇妙な冒険」を継続したのだろう。「第4部」「第5部」がジョースター家の直系でないのは、それが理由と思われる。謂わば「ジョジョの奇妙な冒険」のスピンオフとまでは云わないが、サイドストーリー的な位置づけが「第4部」「第5部」なのだと思う。

 ところが、前述した「先代と二代目の相克」が露呈してしまい、それに決着をつけるために「第6部」、すなわちジョースター家直系の物語が作られ、「先代と二代目の相克」に決着をつけるために、「世界を一周」させてしまったのである。ちょうど、ガンダムの「非宇宙世紀もの」のように。
 「第6部」で、承太郎が物語序盤で退場したのは、当然「「先代と二代目の相克」の回避のためであろう。それでも、再登場したら、早速、「承太郎は弱くなった」なんて批判されてたけどね。

 また、「ジョジョ」の斬新な点として、「各部ごとに舞台が変わる」を挙げる人がいるが、これも「ジョジョ」が初めてじゃないよね。すでに「ボトムズ」がやってる。

 でも、この「各部ごとに舞台が変わる」は、作劇上はあまり効果が無いように思う。単なる作者の自己満足、趣味でしかないと思う。舞台が、アメリカでも日本でもイタリアでも女子刑務所でも、読者にとってはどーでもよい事だよね。「主人公交代」というのが、「キャラクター作りを、ひいては物語を重層的にする」という明確な効果があるのに対し、「舞台変更」は、作劇的には明確な効果は無いと思う。

 また、「ジョジョは能力バトルの元祖」という人達もいるけど、これも違うよね。「能力バトル」なんていうのは、それこそ「伊賀の影丸」以来、「サイボーグ009」とか「ゴレンジャー」とか「キン肉マン」とか「聖闘士星矢」とか、いくらでも例は挙げられるだろうが、日本の少年マンガの伝統というか、看板のひとつだよね。

 つか、マンガ以前の講談ものにも「忍者もの」あるいは「戦記もの」として「能力バトル」はあるだろうし、映画の世界の「七人の侍」や「007」も「能力バトル」といって良いであろう。まあ、なんつーか、エンターテインメントの定番だよね。「セックス&バイオレンス」のバイオレンスだよね。

 ただまあ、後述するが、「ジョジョ」以前の映画やマンガは、「スタンド」という天才的な発明が無かったために、所謂「能力バトル」が、「ジョジョ」に比して、精彩を欠いていた。バラエティの幅が狭かったとは云える。

 というか、所謂「能力」を用いずに、バトル漫画を成立させる、あるいは面白くするためには、鳥山明級の圧倒的な画力が必要になるし、現時点で、それがあるのは若き日の鳥山明ただひとりである。まあ、水木しげるも書こうと思えば、書けたかもしれんけどね。石森章太郎だと、ちょっと足りないかな。いや、本気出せば、書けるか。

 また、「ジョジョは知恵比べマンガの元祖だ」という人もいるけど、これも違うよね。「知恵比べ」的な要素は、先に挙げたバトルマンガにも多々出てくるし、何よりそれは「推理小説」や「探偵もの」のテリトリーである。少年向けなら、「ホームズもの」とか「少年探偵団」とか「マガーク探偵団」とか「マガーク探偵団」とか。大事なことだから二度言いました。マンガはともかくとして、子供向けエンターテインメントとしては、「能力バトル」と並ぶ2大ジャンルのひとつである。

 ただその「知恵比べ」を「バトルマンガ」に大きく取り入れる事が出来たのは、後述するが、「スタンド」という天才的な発明のためである。

 とまあ、「ジョジョ初」をことごとく否定してきて、ジョジョファンの怒りを買っているであろうが、ここまでチョロチョロ触れてきたけど、「スタンドの発明」、これはハッキリ荒木飛呂彦の功績である。

 本人もどっかで「スタンドを思いついた時、自分は天才だと思った。」と語っていたと思うが、「スタンドの発明」は、これははっきり天才的発明である。

 「ジョジョ」以前も超能力マンガというのはいくつかあって、たとえば「ミュータントサブ」とか「イナズマン」とかである。ただ、いずれも、精彩を欠いていた。肝心の超能力の表現が絵的につまらなかったからである。

 「ジョジョ」以前の超能力マンガの最大のヒット作は「バビル二世」であろうが、その「バビル二世」にしても、躍動していたのは「三つのしもべ」であり、肝心要のバビル二世の超能力はイマイチだった。手を握ってババババである。子供心にあんまマネしたくなかった。完全にギャグだった。

 超能力表現に期を画したと云われるのは、大友克洋の「アキラ」であるが、「アキラ」にしても、マンガ表現的には新機軸だったろうが、超能力の表現としてはいまひとつ、超能力マンガとしてもいまひとつだったと思う。したがって、世界的にはともかく、日本では、ヒットはしたけれども、大ヒットまでいえないであろう。

 オカルトマンガの大家つのだじろう大先生でも、「超能力マンガ」はヒットさせていない。

 つかまあ、超能力っていうのは、当然ながら、定義として「目に見えない力」、動力源も無いのに動いたり、熱源も無いのに熱くなったりする事なのだから、絵としてつまらないのは、謂わば必然である。だって、絵にしたら、目に見えるようにしたら、超能力では無くなってしまうのだから。

 それを逆転したのが、すなわち「スタンド」である。動力源を見せる、熱源を見せる、超能力。まさしく、コロンブスの卵的発想である。それ故に、今まで誰も思いつかなかったのである。少なくとも、私の知見の範囲では、「スタンド」以前の「スタンド」的なものを知らない。マンガどころか、映画や小説にも無いと思う。まあ、「うしろの百太郎元祖スタンド説」っていうのはあるけどさ。

 この「スタンド」の発明により、「超能力マンガ」というか、「バトルマンガ」に素晴らしい幅、素晴らしい多彩さを与えたのは、先に説明したとおりである。というか、本編を読めば、一読瞭然だろう。

 このギミックをもっと使いたくて、当の荒木飛呂彦本人が「ジョジョの奇妙な冒険」を延長したぐらいである。それぐらい、天才的なアイデアだったと思う。しかも、スタンド・ビジョンという形で、日本マンガの伝統、ちゅうか世界中のエンターテインメントの王道、「怪獣・怪人」も継承できたしね。

 もっとも、最近はスタンドのアイデア自体が枯渇、つうかネタ切れしてるから、「ジョジョ」も第9部でめでたく打ち止めだろう。

 でも、この「スタンド」というアイデア、マンガ家に限らず、他のエンターテインメント業界関係者も使いたかっただろうなあ。ハリウッドなんか歯軋りしてるだろう。でも、使ったら「パクリ」って云われるし。

 でも、一度使ったら二度使えないアイデアって、エンターテインメントの世界ではよくあるよね。

 例えば、マンガの世界でも、「ストレートしか投げないドアホウ」とか「主人公の乗る車がハチロク」とか「ブラフとレイズだけでポーカーに勝つ」とか、一度使ったら二度使えない魅力的なアイデアって結構あるよね。本当は、「タイムマシン」も、その手のアイデアのひとつなんだろうけど。みんな自由に使ってけど、時効?。

 でも、「ストレートしか投げないピッチャー」なんて、野球マンガとしては、これ以上は考えられないキャラクター設定だろう。この設定だけで、いくらでもドラマが作れる。
 また、「主人公の乗るメカがボロい」っていうのは、今まで有りそで無かった設定だと思う。今まではむしろ逆だった。「主人公の乗るメカは優れていて、主人公の操縦技術が徐々に上昇し、やがてメカの性能を追い抜く」っていうのが、よくあるパターンだったよね。「マジンガーZ」とか「ガンダム」とか。
 あと、ポーカーというギャンブルに関しては、エンターテインメントにするとしたら、これしか解決策は無いよね。麻雀やパチンコとは違って。

 いろいろ、荒木飛呂彦ファンを怒らすような事を書いてしまったけれども、最後にもういっちょ。

 なんか、世間では、「荒木飛呂彦はセンスが良い」って事になっているらしいが、センス良くないよね。エアロスミスとかスパイスガールってスタンド名、センスいいの。同じ時期、つかちょっと前かな、永野護がイマラ・ロウト・ジャジャスなんて名前を付けているのに、グリーンデイって。パールジャムって。キラークイーンって。ヨーヨーマッとかオインゴ・ボインゴとなると、逆にセンスが良いのかもしれんが。まあ、センスの良し悪しなんか、最終的には、結論でないものかもしれんけどさ。 

 また、吉良が自身の性癖に目覚めたきっかけは「モナリザ」だったけれども、あれもクラナッハの方が良かったように思う。知名度の問題があるか。

 また、ファッションセンスにしたって、あの人、「ハリスの旋風」に憧れて、制服に継ぎを当てようとしてた人だよ。それって、センスいいの。石田国松のファッションに憧れた人って、他に聞いた事ない。矢吹丈の靴とズタ袋に憧れた人は、そこそこいるだろうけど。ハンチングとコートはともかくとして。

 ちなみに、荒木飛呂彦に最も似ているマンガ家は川崎のぼるだと思う。妙なポーズ付け、変な擬音、そうして何よりベタなストーリー、荒木飛呂彦は川崎のぼるによく似ている。復刻版だか文庫版だかの「荒野の少年イサム」の帯に荒木飛呂彦は文章を寄せていたけど、私は成程なと思った。「荒野の少年イサム」なんて、いかにも荒木飛呂彦の書きそうな漫画である。

 また、私が荒木マンガで最も好きなのは雲、あの独特の雲の描き方だったりする。

 以上、長々と御静読ありがとうございました。昨シーズンは、野球の事ばっか書いちゃったし、今季はマンガの事ばっか書こうかな。と言っておいて、書かないというパターンもある。

 さあて、杜王町レイディオ聴こっと。

                          2022/5/11(水)

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