インディアナポリス研究会

資料室

せっかくインディアナポリス研究会と名乗っているので、コルツやペーサーズのことのみではなく、
インディアナ州についてもあれこれ書いていきたいと思います。行った事もないくせに。

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マイケル・ジャクソン  せっかくインディアナポリス研究会と銘打っているので、コルツやペーサーズの事のみならず、インディアナ州にまつわる事もあれこれを書いていきたいと思います。

 記念すべき第1回は、先ごろ急逝したマイケル・ジャクソンについてです。

 私は音楽に関してはまったく関心が無いので、彼の業績についてあれこれ述べる心算も能力も無い。ただ、彼の追悼記事を読んでいて(もち立ち読み。)、彼がインディアナ州ゲーリーの出身だということを知り、この記事を書こうと思った次第である。
 この「インディアナ州あれこれ」というコーナーの企画は、前々から考えていたので、彼の死がいいきっかけになったという訳である。マイケル、及びファンの皆様、ごめんなさい。

 インディアナ州ゲーリーというのは、Googleマップで見れば一目瞭然なのであるが、首都インディアナポリスの北方200kmほどにあるミシガン湖畔、州境の町で、むしろシカゴに近い。

 このゲーリーという町は、ウィキ情報によると、非常にアフリカ系アメリカ人の勢力の盛んな町で、アメリカ初の黒人市長を生んだ街でもあるらしい。そして確か、私のうろ覚え立ち読み情報によると、この黒人市長が、当時ナイトショーや各種コンテストを荒らしまくっていたマイケル、というかジャクソン5をモータウンに紹介した筈である。まあ、この手の「俺が育てた」式の吹聴はほらである事が多いので、あまり私の記事、というかうろ覚えを信用しないで頂きたい。

 誰がマイケルを売り出したかはともかく、彼が我がインディアナ州(別に私の出身地ではない、念の為。)出身である事に間違いはない。もっとも、売れ出した途端にロサンゼルスに引っ越したらしいので、マイケルが育った町とは言い難いかもしれない。
 レジー・ミラーは逆にカリフォルニア州からインディアナ州にやって来た訳である。超どうでもいい暗号。本格的にどーでもいい暗号。

 以上、マイケル・ジャクソンとインディアナ州の話、終わり。

 ちょっと余談になるが、このマイケル・ジャクソンやマイケル・ジョーダン(ふたりのMJやね。)が白人に受け入れられたというのは、彼らの圧倒的な能力故であるのは勿論なのだが、それともうひとつ、彼等が公民権運動世代の子供であるという事も、大きな理由のひとつに挙げられると思う。私の見たところ、彼らは白人以上に白人的に育てられた世代なのである。だからどこか彼らの立ち振る舞いは白人的である。これは彼等以前の世代、そうして彼等以後の世代にも見られない特徴だと思う。思いっきり人種差別発言になっていたら、ごめんなさい。

 もうひとつ余談になるが、マイケル死亡後、世界中の様々な人が追悼コメントを出したが、そのなかのひとつ筋金入りのマイケルファンの出したコメント、「正直、死んでもらってホッとした。」というのは非常に率直なコメントだったと思う。本当のファンの発する言葉だろう。ちなみに麻生首相は「リズム感のある人でした。」というトンデモコメントを出したらしい。リズム感のある人って。

 実は、この「インディアナ州あれこれ」の第1回はザ・ファンクス(彼等もインディアナ州出身。)について書こうと思っていたのだけれど、マイケル・ジャクソンの方がインパクトが強いのでコッチにしちゃった。ザ・ファンクス、およびプロレスファンの皆様、ごめんなさい。って、なんか今回謝ってばっかりだな。つう訳で次回はザ・ファンクスの予定です。あくまで予定だけど。

                                                    2009/7/17
 ジェームズ・ディーン  前回、記事を書いたのは一昨年か、昨年だと思っていたが、時の経つのは早いのお。
 んで、その前回の記事を読んでみると、麻生首相なんて名前も見える。まあ、我が国の首相の任期は一年なので、すなわち二年経過したということか、納得。

 さて、その前回の記事で、次回は「ザ・ファンクスについて書く予定」なんて書いているが、今回のお題は、ジェームズ・ディーン。ザ・ファンクス、およびプロレスファンの皆様、ごめんなさい。

 テレビだか雑誌だかで知ったのであるが、ジェームズ・ディーンはインディアナ州の出身らしい。より細かく書くと、マリオンという町で生まれ、フェアマウントという町で育ったらしい。つっても、彼が芝居を学んだのはUCLA(レジー・ミラーと逆コースやね。)なので、上のマイケル・ジャクソンと同じく、インディアナ州出身というのは、「だから、どうした。」と云われれば、「だから、どうした。」としか答えようの無い詰まらん情報ではある。
 しかし、アメリカ芸能界における音楽界と映画界をそれぞれ代表するような両名が、ともにインディアナ州出身というのは、何だかちょっと面白い暗号ではある。

 さて、そのジェームス・ディーンについてであるが、さすがに年齢的性別的に(年齢がばれるかな。つか、もうばれてっか。)、彼に関しては何のシンパシーもない。彼がフレームの内外において、青春の蹉跌を表現した役者だということぐらいは、さすがに知っているが、逆に云えば、それぐらいしか知らぬ。映画も、合計5分くらいしか、見とらんし。まだマイケル・ジャクソンの方が、同時代を生きているだけに、いくらかシンパシーがある。
 とはいっても、それでは記事にならぬので、この項では彼に関する私見をひとつばかし述べてみたいと思う。

 ジェームズ・ディーンと云えば、上記したように、そのいかにも青春の蹉跌といった感じの芝居が有名であるが、私の思うに、彼にはもうひとつ、忘れてはならぬ特徴、というか特記事項があると思う。それは、おそらく彼が世界の映画史上初めて、映画の芝居をした人物だという点である。まあ、もしかしたら、彼以前にも映画の芝居をした人がいたかもしれないが、少なくとも私の知る限り、彼以前のスター、チャプリンにしても、クラーク・ゲーブルにしても、三船敏郎にしても、石原裕次郎にしても、その芝居は皆舞台の芝居である。映画の芝居をした人は、おそらくジェームス・ディーンが初めてだと思う。もしかしたら、小津安二郎やオーソン・ウェルズあたりの映画には映画の芝居があるのかもしれないが。まあ、映画はほとんど観た事が無いので、その辺の確証は無いっす。ただ、映画スター、それも大スターで、映画の芝居をした役者は、彼、ジェームス・ディーンが初めてだと思う。

 さて、ここで、「映画の芝居」というタームを私は何気なく使っているが、その「映画の芝居」とは何かというと、それはすなわち「小さな芝居」の事である。例えば、拳を強く握って「怒り」や「憤り」を表すとか、眉を動かして「何らかの発見」を表すといった、数え上げれば、いくらでも出てくるだろうが、そういった「小さな芝居」の事である。

 何故これらが「映画の芝居」かと云えば、当然といえば当然の事ながら、それらは舞台の上では、全く意味を為さない、通用しないからである。
 説明するのもバカらしいが、そういった「小さな芝居」をしたところで、最前列の観客ならともかく、10列目くらいの観客には、そんな小さな芝居、眉毛ひとつの動きなんてものは見えやしない。また仮に見える距離にいたとしても、大概の観客は、台詞を発している役者、ないしは自分の贔屓の役者しか見ていないのだから、何も台詞を発していない役者の芝居などは、よほどの通人でない限り、まず鑑賞することはない。

 ところが、これが映画になれば、話は違ってくる。なんとなれば、映画ならば、どんな小さな芝居でも、また台詞を発していない役者の芝居でも、カメラを向けさえすれば、観客に伝える事が出来るからだ。ある役者の台詞を音声として流しながら、画面はそれを聞いている役者の拳の動きを流すなんて事も、映画では楽に出来る。一般に、映画の方が舞台に比べ、監督や演出の名がクローズアップされるのには、ひとつにはこの理由がある。

 こんな事は気付けば誰でも出来る事であるが、芝居に限らず何事においても、簡単な事に気付くというのは、存外難しいものである。実際、私の少ない見聞の範囲においては、この「映画の芝居」「小さな芝居」を実行したのはジェームス・ディーンが初めてだったと思う。それ以前の役者は、ほとんどが舞台上がりなので、当然といえば当然なのであるが、みんな「舞台の芝居」「大きな芝居」をしている。チャプリン然り、ゲーブル然りである。三船敏郎や石原裕次郎にしても、彼らは舞台経験が無いにも拘らず、やっぱりその芝居は舞台のものである。まあ、これは、当時の映画界の演出家のほとんどが舞台上がりだった事によるだろう。というより、当時、日本のみならず、世界中どこにおいても、「演技論」「役者論」は舞台のそれしか無かったのである。そこで初めて、映画には映画の「演技論」「役者論」があるという事に気付き、実践したのが、ジェームス・ディーンになると思う。日本では、萩原健一あたりが嚆矢だろう。

 話はちょっと逸れるが、「舞台の芝居」という事に関して云えば、昔も今も、世界中何処でも、当たり前の話であるが、映画風の「小さな芝居」は完全に却下され、大きな芝居が求められる。むしろ、大きければ大きいほど、良いとされる。いくつか例を挙げれば、「泣く」を表現したい時は「両肘を垂直に上げ、両手を目の下に置く」だとか、「驚き」を表現したい時には「両腕を挙げて、跳び上がる」だとか、「悔しさ」を表現したい時には「拳で、机なり地面なりを叩く」などである。こういった芝居を、映画やテレビドラマでやれば、それこそ噴飯ものであるが、舞台の上では、まあ演出家の意向にもよるが、これらはむしろ正しいとされる、推奨される。

 そうして、こうした「大きな芝居」の行き着く先は、所謂「型」である。日本の能を始め、世界中のどんな舞台にでもあるだろうが、芝居の表現は、最終的には必ず何種類かの「型」に集約される。更に進めば、歌舞伎の隈取りや能の面、すなわち「仮面」劇になる。こういった「型」や「仮面」に対して、何かいろんな形而上学的理由を捻り出す文芸評論家や演劇評論家は、洋の東西を問わず、数多いが、これらの使用は、上に述べたように、専ら「舞台」と云う表現形式上の理由でしかない。

 「型」や「仮面」があることで、観客は、その芝居の理解がもの凄く容易になる。「型」が決まっていれば、この役者が今怒っているのか喜んでいるのか悲しんでいるのか等々が、一発で理解できるし、「仮面」があれば、この役者が「悪人」なのか「善人」なのか「悲しい人」なのか等々が、一発で分かる。
 また、脚本家側から見ても、「型」や「仮面」があれば、心情の描写や登場人物の説明等々に台詞や時間を使う必要が無くなり、たいそう便利である。
 映画に、こうした「型」や「仮面」が存在しないのは、上にも述べたように、「小さな芝居」が可能になったからである。カメラをクローズアップすれば、大概の事は表現できる。
 あとまあ、日本には新劇というジャンルがあり、そうしてそれに似たジャンルの芝居も世界中にあると思うが、これらは舞台で、そういう「型」や「仮面」に頼る「大きな芝居」をなるべくしたくないジャンルであるが、結局のところは、やっぱり「大きな芝居」をせざる得ないのは、上記の理由から、当然な話である。

 ちなみに、シェイクスピア時代のイギリスの芝居は、そうした「型」や「仮面」が全く無かったそうである。で、結果的にどうなったかというと、今で言う「朗読劇」のようなものであったらしい。確かに「型」や「仮面」が無ければ、ストーリーを朗読せざる得まい。逆に云えば、だからこそ、シェイクスピアのような素晴らしい脚本が出来上がったとも云えなくも無い。でもないか、あれはやっぱり、シェイクスピアの天才が作り上げたものか。

 以上、何だかジェームズ・ディーンから随分話が逸れてしまったが、とにかくジェームズ・ディーンはインディアナ州出身という事である。

 また、ここで私の書いた「演劇論」めいたものは、あくまで私の試論なので、あんまり深く突っ込まないよーに。演劇業界では当然の常識かもしれないし、あるいは全く見当外れの見解かもしれない。責任は取れませぬ。

 ちなみに私は観劇や映画鑑賞の習慣は全くありません。観劇なんてした事ないし、映画だって、テレビ放送しているものでさえ2時間丸々見たことは、ほとんど無い。大概途中でチャンネル変えちゃう。スポーツならいくらでも見ていられるのだが、不思議だ。ちなみに最後に映画館で見た映画は「ゴジラvsビオランテ」、それもウケ狙いで。小高恵美は好きだけど。

 次回こそは「ザ・ファンクス」をやります。って云って、また引っ張んだな、これが。悪質。

                                                       2011/7/1
 インディアナポリス
 インディアンス
 私は以前から「インディアナポリス・インディアンス」というベタな名称のチームがあるんじゃないかと常々考えていた。そうしたら、やっぱりあった。最近刊行された「綱島理友のアンリカン・ベースボール徹底攻略ブック」という本に紹介されていた。この本は、アメリカのプロ野球チームを網羅するという酔狂な企画のもとに編纂された本で、その3Aチームの一つとして「インディアナポリス・インディアンス」は紹介さていた。

 しかも、この「インディアナポリス・インディアンス」というチームは、フランチャイズ移転やらなんやらでコロコロと名称の変わるアメリカのプロスポーツ界にあっては珍しく、1902年のチーム創設以来、所属チームは数回変わっているもの、一貫して「インディアナポリス・インディアンス」を名乗り続けているらしい。つか名乗っている。

 これはアメリカスポーツ界にとっては非常に稀有な事といえるのではないだろうか。野球に限らず、他のプロスポーツを考慮しても非常に珍しいと思う。この本「綱島理友のアメリカン・ベースボール徹底攻略ブック」をざっと見ても、「テストに出るな、絶対。」つうくらい名称変更しているチームは多い。そのアメリカスポーツ界にあって、100年以上「インディアナポリス・インディアンス」。まあ、いかにも、のん気なインディアナ州らしいエピソードと言えなくもないが。
 でも、100年以上という歴史を鑑みれば、一定以上の年齢のインディアナポリス市民にとっては、コルツやペイサーズより愛惜措く能わらざるチームなのかもしれない。相当年配だろうけど。

 また、一時期ピッツバーグ・パイレーツと提携していた関係で、桑田真澄もこのチームでプレイしていたらしい。確かに、そんなニュースを聞いたような無いような記憶がある。いや無い。いずれにせよ、今回完全に記憶した。もう忘れない。

 また、過去にはインディアナポリス・フージャーズというプロ野球チームもあったらしい。ただ、こちらはい、いかにもアメリカのプロスポーツチームらしく、作られたり消えたりを数回繰り返し、今は無い。もっとも、今この名前を使用すると、インディアナ大学からクレームがくるだろうけど。

 ちなみに、今ふと思ったのであるが、このフージャーという英語、日本語に訳すとしたら、先に私が書いた「のん気」くらいが適当なのではないだろうか。とすると、フージャーズはノンキ−ズか。ヒッタシなような気がする。違うかしら。

 さて、私に「インディアナポリス・インディアンス」を教えてくれた、この「綱島理友のアメリカン・ベースボール徹底攻略ブック」であるが、なかなかに面白い。例えば、同じく3Aに「エル・パソ・チワワズ」というチームがある。その「チワワズ」というニックネームはひとまず措く。そのロゴがこれ→ 

 愛せねーよ、こんなチワワ。つか、いねーよ、こんな凶悪なチワワ。
 まあ、動物に対するイメージというのは、民族によって結構異なるもので、他民族にとっては意外なイメージもあったりする。例えば、日本人にとってはコウモリとかゴキブリとかは完全にネガティブなイメージしかないが、アメリカでは意外にそうでも無かったりする。また、逆に、イルカやマグロといった大型魚類(イルカは分類学的に魚類じゃないけどさ。)を除いて、多くのアメリカ人にとっては魚はほとんど眼中にない。しかし、多くの日本人にとって、鮎や鯛を始めほとんどの魚類は愛惜措く能わざる動物である・
 また、イヌやネコといった世界的にポピュラーな動物も各国においてイメージが微妙に異なっていたりする。
 また、同じく、ヘビが、肯定的なものから否定的なものまで、時代や地域によって各々様々なイメージを持たれているのは多くの人の知るところであろう。

 けど、「チワワ」は全世界共通で全時代共通で「カワイイ」しかねーだろー。つか「カワイイ」を目指して交配された犬じゃねーのか。いや、もしかしたら違うかもしれんけど。でも、この「チワワ」はねーわ。首輪にトゲトゲついてるし。お前は「北斗の拳」の住人か。

 しかし、このロゴを決定した会議はちょー見たい。どんな会議だったんだ。賛否両論あって、喧々諤々の議論の末、一票差で決定したのか。それとも、全会一致で、「それだ!!」と決定したのか。大いに興味がある。

 ちなみに、世界中にはいろんなスポーツチームがあるけれども、私が一番好きなのはセルツのおっさんのロゴだったりする。また、世界で一番有名なスポーツチームのロゴはおそらくレイダースのそれであろう。レイダースそのものは全然知らなくても、誰もが一度くらいはあのロゴを見た事があると思う。

 一方、「チワワズ」というそのニックネームもツッコみたいところであるが、それは不問に付す。なぜなら、ここ10年というか、ここ20年くらい、アメリカスポーツ・ニックネーム業界(どんな業界?)にはかなりの無理が来ているからだ。メジャープロスポーツでも「ペリカンズ」とか「ナショナルズ」はかなりの無理を感じるし、20年前、つか、もう30年近く前の「ヒート」や「マジック」あたりももうすでに無理を感じる。「チワワズ」くらいは許してあげよう。

 ここに挙げた「ナショナルズ」なんていうのも、初めて聞いた時から、私はずっと変な名前と思っていたのであるが、やはりこの「綱島理友のアメリカン・ベースボール徹底攻略ブック」を見ると、1860年代にワシントンDCに存在した「ナショナル・ベースボール・クラブ」にあやかった由緒正しいニックネームだったりする。うかつにバカに出来ない。でも、ナショナルリーグのワシントン・ナショナルズって、変じゃね。神奈川県横浜市神奈川区みたいな。

 この過去に存在したチームのニックネームにあやかるというパターンは最近多いみたい。日本のプロ野球に例えるならば、東京にパシフィックリーグのチームが復活した時、フライヤーズとユニオンズとか付けるみたいなもんであろう。
 ちなみに、私が個人的に最も復活して欲しいニックネームは「オリオンズ」だったりする。星座から拝借するというのは、意外にありそうでないパターンだと思う。この「綱島理友のアメリカン・ベースボール徹底攻略ブック」という本をざっと見ても、見当たらないし。しかも、オリオンってかっこよくね。マリーンズよりよっぽどカッコよいと思う。

 また、ちなみに、ニックネームで思い出すのが、日本ハムファイターズの話である。昔、日本に来たアメリカの留学生が、せっかく日本に来たのだから、どこかの野球チームのファンになろうと思って、決めたのがこの「日本ハムファイターズ」だったらしいのである。
 で、その名前から、日本には「日本」という町があって(メキシコとメキシコシティーみたいな関係ね。)、そこに有名なハム工場があって、そこで働く従業員が、その猛烈な仕事ぶりから「ハムファイター」とあだ名されていて、それに由来した名称だと思っていたらしいのである。すなわち「日本ハム・ファイターズ」ではなく「日本・ハムファイターズ」だと思っていたらしいのである。もちろん、勘違いである。
 ちなみに、「ファイターズ」というニックネームはアメリカ人の耳にもかっこよく響くみたい。その割には、全然使われていないんだけど。

 さて、ここに引いた「綱島理友のアメリカン・ベースボール徹底攻略ブック」であるが、最近の出版物には珍しく(でもないか、)、誤字脱字が散見したり、あとライターの頭が良くないのか、要領を得ない文章も多い。したがって、この本の記述をそのまま鵜呑みには出来ないけれども、まあ、それを差っ引いても、アメリカのプロ野球チームすべてを網羅するなんていう酔狂な書物は前代未聞、そうしておそらく空前絶後であろうから(でもないかな。)、興味のある方はどうぞ。寝床のお供には最適であろう。
 もっとも、日本に生まれ日本で育ち日本で生活する上では、ちゅうかアメリカに生まれアメリカで育ちアメリカで生活する上でも全然実用性のない本である事は間違いないだろうけれども。

 また、編集後記によると、この本の編集にはおよそ9ヶ月ほどかかったそうであるが、2,3年くらいかけて、じっくり作っても良かったかなとも思う。まあ、そうなると、1万円を超える浩瀚な書物になってしまうので、この手のハンドブックサイズが、それはそれで、ちょうど良かったのかもしれない。

 この本の美点をもうひとつ。それは使われている紙が非常に薄いという点である。大昔の週刊少年ジャンプのように、裏写りしては本末転倒であるけれども、本の紙は薄ければ薄いほど良い。軽いからである。何なら、所謂和本も復活して欲しいと私は常々思っているくらいである。なぜなら、軽いからである。

 あと、念のため断っておきますが、私はベースボール・マガジン社の回し者ではありません。でも、ベースボール・マガジン社の営業の方、なんかちょーだい。以下の住所まで30万円送ってちょ。

 ゲンゴロウ島ペンギン村モモンガ3−27−1

                                            2015/8/5(水)